誰かの期待に応えるために生きるのはもう辞めよう

体育会系

こ、こんにちは。管理人です。いやぁそれにしても大人たちはみんな誰かの悪口を日々言っており、ゾッとします。それでいて本人の前では何事もなかったかのように接しているものですからコワイです。そう考えると自分もまた陰で言われているんだろうなぁ、、と思うともう本当イヤになっちゃいますが、まぁそんな世の中だから仕方ないか、それともたまたまワタシの周囲がそうなのか?

そんな中でもワタシはこれまでの人生でなんとかやりくりしてきました。人が誰かの悪口を言って居ても同調しすぎることなく、うんうんと聞いては受け止め「それは大変だったね、つらかったね」と慰めていたつもりです。

決して楽しい話でもないのに沈黙するよりはいいやと聞き手に回ってきたのです。が、それもどうでしょうか、そろそろそういう環境に身を置いている自分がイヤになってきたというかしんどくなってきました。

なんというのでしょう、ワタシは誰かの期待に応えるようにしてこれまで生きてきたように思います。主体性がなく、自分でこうやりたい!という沸き上がる思いにフタをして生きてきました。

そのために我慢の連続で、いやむしろその我慢することすらもしかするとワタシは求めているマゾな人間なんじゃないかと思うようになりました。

自分の気持ちを大事にしつつ人の気持ちを尊重する、それが本来明るく生きるコツじゃないかと思います。もしかすると自分の気持ちを押し出すという行為は時に人と摩擦を起こすので一見、社会的ではない行為にも見えますが、実はそうではないと思うようになりました。

誰かの期待に沿うようにして自分の気持ちを抑えることは確かに大人社会になじむための習わしであると思います。しかしそれだといつまで経っても我慢を重ねる人生から抜け出せないのです。そう思うようになりました。


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自分の気持ちを吐露して、他人からの期待は無視していい。

そうやっていくとただの我がままで怠慢な人間にも見られる可能性もあるのですが、合わない環境とはサッサと見切りを付けられるので、自ずと自身に向いた所に行き着くことができると思います。

それがいいんじゃないでしょうか。

NOと言える、嫌なことは嫌という訓練を積んだほうがいい。そうすることは決して相手を傷つけることではなくてむしろ本音を語れる分、相手に気を許した関係なんですよと心を開いたアピールとしても受け止めてもらえるのではないでしょうか。

これは、今までワタシが自身の気持ちとは裏腹に他人の期待に応えようと自らを犠牲にしてYESと答え続けてきた結果、結局苦しい人生にどんどんと自分を追いやってしまっていることに気が付いたからに他なりません。

また周囲を見渡しても人望が厚く慕われている人間というのは決して自分を犠牲にしている人間ではなくて、嫌なことはきっぱりと断り、自分がやりたいことでしっかりと頑張る人間だと思うようになりました。

ワタシ?少しずつ断る練習をするようにしています。断るというか、本心を口にする努力をしています。

専門用語でいうと、アサーションというのでしょうか。ぜひこのスキルは身につけておきたいものです。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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