ファッションコミュ障もツラい

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コミュ障っていうのは、人生において大きなハンデを負って生きていますが、2015年現在まだまだこれが障害認定されるわけはなく苦しい日々、ストレスを過大に感じる日々を送っている同士が多々いることでしょう。 でも最近になってこのコミュ障的な現象(程度の激しい人見知り、傾向が強いのでいうと引きこもりニート) は科学的観点から脳の欠陥(発達障害みたいなもの)であることが明らかにされつつあるので、近い将来にコミュ障にも社会から救いの手を差し伸べられる日がくるものと思われます。

さぁぁてこんにちは、コミュ障の安倍です。

冒頭、コミュ障の将来像を語ってみました。 いつの時代もそうだと思いますが、人間って中途半端が一番ツラい、ワタシのように本当はコミュ障なのに、努力でコミュ障をカバーできる(演技できる)タイプっていうのはある意味一番ハードです。 そう、外から見た感じではコミュ障に見られないため社会生活を送るにあたってツラいということを誰一人として理解してくれないからです。

「人見知りなんで。。」

というと、

「またまたぁ〜」

とリアクションされ、ひどい時になるとリア充に勘違いされてアホゥなやつにそういうリア充的ノリを強制させられたりそういう場に連れていかれたりするのです。

 

人見知りとかコミュ障とか公然と開示できるタイプは真のコミュ障じゃねぇ、 それはエセコミュ障、つまりファッションコミュ障だ!!そんな程度でコミュ障を名乗るな!という指摘もあるでしょう。

確かに、自称コミュ障は、


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心理的にコミュ障じゃない自分を普段頑張って演出している分、深層心理として

「またまた〜そんな謙遜して〜」

と相手に思ってもらいたい、言ってもらいたいということがあることは否定できないでしょう。

 

でも!

そういうファッションコミュ障はファッションコミュ障で他人に理解してもらえない分、一番ツラい立場なんじゃないかなと思うのです。

もう毎日が演技の連続なわけですよ。

本当はひっそりと生きていたいのに、周囲に踊らされるような形でリア充を頭の中でシミュレーションしながら頑張って振る舞う、

で、

なまじそういうことができてしまうものだから、絶えず仮面で装った自分で生きていかねばならない苦悩。

 

そういう苦労があることを考えるとファッションコミュ障はある意味一番のコミュ障でしょう。

究極のコミュ障でマジ対人恐怖で死にそうです、というタイプは逆に救済の余地があるのです。もう障がい者です、助けて下さいと割り切ることもできるでしょう。もちろんそれは心理的に簡単なものではなく苦痛を伴うことは確かです。

 

しかし、ファッションコミュ障として生きる、これはこれでジリジリと太陽の光でローストされるようなツラさがあることは事実。

 

どちらがいいなんて言えませんが、ただいずれにしても思うのは、コミュ障と自認・他認される人生っていうのはツラいものなのです。

だから何なんだという話ですが、

要は、ファッションコミュ障もコミュ障、隠れコミュ障というのもやっぱりコミュ障、ということです。

 

でも乗り切っていきましょう。 もう来世への徳を積む気持ちで。

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