一日一悪を。いい人であることは損する

一日一悪ブログ
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どもりーまんです。HSPであるがためなのか、自分の意見を殺して嫌われないように外面よく生きていこう本能が働いてしまいます。
そのために損ばかりして今まで生きてきました。
嫌なことを嫌といわずに生き抜いてくるとちっとも自らの住みやすい環境にたどり着けず、息が苦しい環境になんとなく馴染んで、生かさず殺さずのような環境下でダラダラと過ごす羽目になります。

しっかりと嫌なものは嫌と表現し、自分のやりたいという思いに素直に生きることが必要だと思います。

でも、世の中はこわい。
獰猛(どうもう)な人が多すぎる、、
ちょっと思い通りにいかないとイライラする人、自分のペースについてこれないとカッとなる人、とにかく怒り散らしていると思います。この世の中。

そんな中、温厚つまりイイ人であることは損であると言えます。

自分だけのことであるならば温厚、優しい人柄であるがゆえに損をしても迷惑をかけず、聖人にもなれるのかもしれません。

しかし世の中というのは、一人ではいきていけず、自分の徳が自分をとりまく人たちの徳、得にならないことの方が圧倒的に多いです。
家族を持てば家族のために、会社に勤めれば会社のために、自分の思惑とは裏腹に非情なまでの決断を下して実行に移さないと存続すら危ぶまれます。

それであるがゆえに人は残忍非情にならざるをえずギスギスしてイイ人を食い物にする、いかにそういう、利用されてくれるイイ人を捕まえるかが自分が無理せず生きてけるかの命題にすらなっているようにも感じます。


イイ人からの脱却

それができれば楽なんですけどそうもいかないんですね。
嫌われる勇気、という本がベストセラーになったように、多くの人は摩擦をおそれ生きている、その中でも私のようなHSPなら尚更に、だと思います。

一日一悪、毎日ひとつ嫌われる努力をしてみる

一日一善ではなく、一日一悪、こっちの方がイイ人にとっては難しいはずです。いいことをするのは気持ちがいいですからね、だから一日一善はそもそもいい人にとって人生の修養になりません。気持ちいいことをやっているだけですから。。
だからあえて悪いことをやってみる!とは言っても、狙って悪いことをするのではなくて本能に正直に振る舞うことでいいのだと思います。
もし本能に従っても、悪いと思われること(偉そうなあの人に一言きつく言い返す、気が向かないので手伝ってあげればいいけどキッパリ断る、こういった類のこと)が頭に思いつかないようであればもはや聖人君子、ムリに一悪をする必要はないと思いますが、
だいたいの人は自分に嘘をついて建前で悪いことをしないように振る舞っているはず、それを自由に、思うがままに振る舞う、それは人に嫌われることになるかもしれない、でもそれをあえてやることで自分に素直になる、つまりは自分を出していくということになるのだと思います。

繰り返していくと、ちょっとずつ変わってきます。
ああ、ワタシもひと昔前に比べるとスレてしまったなぁ、、でもそれが成長だと今は思っています。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人

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