infp 心を閉ざす、の意味

INFPは心を閉ざしがち、なのでしょうか。私の知り合いでとうとう閉ざし切ったあの、、いましたがやはりINFPだと思うことが多すぎてどこか人生の間にふさいでしまうことがあるようです。

今回は根っからのINFPだと自負する高校生の方からコメントをお寄せいただきました。

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【東京都:INFPの灰色な青春さん】

INFPがこの人生に心を閉ざしてしまう理由

INFP 心を閉ざす

心を閉ざす、というのはつまり、周囲からの人間関係を疎ましく思って自ら鬱陶しい!こいつら!とアグレッシブに遮断するINFP-Aと、逆に、自分は他と違っていてこの世の社交基準に合わないはぐれもので世間離れした存在、自分と他人との間に生まれるあの絶妙な気まずい雰囲気の創出者、、綺麗な香りのメタンガスを放出してしまっているような申し訳なさや、ズレててかみ合わない感性の中無理やり話すぎこちなさ、そうしたものが、やがて蓄積して、とうとうこの社会生活から心を閉ざしてしまう、INFP-Tのタイプがあると思います。ぼくはその後者のタイプです。遠慮しすぎて疲れ、また疎遠な関係ばかりの周囲、はたまた大人しすぎるがために人から軽んじられては、バカにされナメられて悔しくて悲しい思いをする、、こうやって書いてみるだけでいかに自分でも、この世に、そして人に対して心を閉ざしてしまうかがわかるくらいです。

容姿も過剰に気になります。ちょこっとできたニキビやイボも、INFPのような感受性の高い自分にあってはまるで股間の衣服をひきちぎられて露出するそれを凝視されているような羞恥と劣等感に見舞われます。

ふとした言動で言いすぎてしまったか?とかもっと気の利いた言い回しがあったんじゃないかというようなもがき、やるせなさ。

こうした積み重ねが毎日僕のメンタルを削り、まだ16歳というのに、心はすっかり老いて、またそうした朽ちた精神からは健全なる肉体も生まれず、猫背でだるそうな風体です。

つまり、ただ生きているだけで消費するエネルギーが大きすぎて、バッテリー不足で、とても社交する余力がない、それが一番の心を閉ざしてしまう理由だと考えています。

いわば、心のカロリーの基礎代謝量が高すぎるのです。

親戚にも気を使ってへとへとになります。

INFP,心を閉ざしながら生きていけるのか?

INFP 心を閉ざしながら生きる

で、問題はそれで生きていけるのか?ということです。僕の場合は毎日が息切れしそうです。他人のペースに合わせて、取り繕いながらなんとか毎日をつないでいますが、ええ、青春?なにそれ食べられるの?の世界で、すっかり、苦行をこなしている日々です。あと何日でこの高校生活終わるの?という世界です。

そんな中、自分が生きていく道はもう、自分ひとりで生きていく職業につくことだと思います。

図書館の司書、プログラマー、、

そうした安易な考え方しかできませんが、そういう静かな世界を目指したいと思います。反面、このいつ途切れそうやもしれないか細い神経で、そんな「静かな」イメージだけでどうこうしようとするのはどうか、という大人な我が心も、またあります。

絶望的な疎外感

INFPの疎外感

思えば、小さいころからどこか、他の人と一緒にいても自分は何か違う違和感にさいなまわれていました。鷹揚でありながらせせこましい器量の自分のセルフイメージのギャップに絶えず翻弄し、公でどうポジショニングをとるのか戸惑う日々。

日々は疲れるためにあり、休むために生きている、そんな感じ。

そのために、毎日を総括すると、疎外感、なのです。身内以外の誰にも理解してもらえない(幸い僕は身内には可愛がってもらって愛情は注いでいてもらったとそう思います)、それはもしかするとただの甘えん坊なのかもしれません。

でも寂しかった。でも頼れなかった。甘えられなかった。

だって自分みたいなものが人の時間を使うなんて、というコンプレックスがありました。

それでも生きていくには

INFP 心を閉ざしながらも頑張る

ぼくの叔母さんは僕にこういいました。

「あんたはちゃんとしてるから。ちゃんと働いてちゃんとやるんだろうね」

ダメダメな僕にとって、このシンプルな言葉はとても勇気づけられるものでした。もしかするとシャイな父親が心を閉ざしてふさぎがちな僕をどうにかするために仕向けた猿芝居なのかもしれません。

でもその叔母さんの、僕にとっては何の根拠もない一言が、この閉ざして空かない心の扉を、まるで朝の光が降り積もった車のフロントガラスの雪を解かすように、じわじわと後になって僕に、少しずつ、生きるための勇気や自信といった心のエネルギーの種を植えていたのでした。

その後、僕はどうなるのでしょうか。

・・・管理人さん、実はここまで書いたのはINFPたる私が若い時分に書いていた日記です。そう、INFPで心を閉ざして絶望している人たちに向けて、一助になればと思い投稿させていただきました。今はもう、30代も半ばのオジサンへと成長しました。

心を閉ざす? いや、今は人がいかに自分と同じ存在であり、仲間であると考えています。

時に人生では自分だけが取り残されて、ゴミを押し付けられて不遇な目に合っているような不公平感に支配される時期があるかと思います。

でも、そこで心を閉ざしてはいけない、心を閉ざしがちだといわれるINFPでも成功できる、私はそう思っています。

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