INFPは日本が合わない、海外へ外国へ

MBTI診断でいうINFP型は日本が合わないのではないでしょうか、という意味合いの話です。読者様よりコメントを頂きましたのでご紹介します。

[佐賀県:J/J様]▽▽

筆者はINFPタイプで閉じこもりがちなタイプな人間ですが、決して人と交流したくないというわけではありません。ざっくばらんな雑談的な関係が苦手なだけで、人とのつながりは濃く持っていたいと思います。ただ、田舎にあるような濃い近所づきあいのようなものが苦手で、いわば日常的なやりとりの環境下で何を話せば場をつなげるのかというような妙な計算をする性向があります。つまりは、人との会話が消耗戦のような様相を呈します。

INFP 日本 合わない

 

日本の地方の田舎>地方の都市>地方の都会>首都圏、というように、人の付き合いは近しく、これがINFPたる筆者にとっては、濃い人間付き合いの求められる、地方の田舎での生活に距離感を覚えます。

田舎を馬鹿にしているわけでも否定をしているわけでもなく、、というのも、筆者自身が日本の中でも有数な人口の少ない、なんならこれを書いている今も過疎が進み、近未来に消滅してもおかしくないくらいの田舎の出身で、幼少期にその場での濃い人間関係を経験しているからこそ語れる思いでもあります。

田舎は親戚付き合いの縮図です。

遠くの親類より近くの他人、といわれるように、近くの他人がもう親戚以上の存在です。プライベートにずけずけと入ってきます、家にも入ってきます、悪気なく。

(もっといえば同じ田舎に住む、他人以上たる親戚はさらに近しくずけずけきます、毎日のように家にお酒を飲みに来ては小さな私に話しかけ、、社会の人間関係の関わり的に見てとてもいい経験ではありますが、、私はそれを自然な形で自分の社交力の糧にすることができず、ああなんとももったいなく、不甲斐ない―、、と感じています)

また、そうすることが自然で、逆にそうしないと水臭くて変人扱いされるような雰囲気すらあります。家族に敬語を使うと変ですよね、そんな感覚です。

本来、これは人間的です。よく分かります。毎日のように顔を合わせ私生活のあれこれを何気なく会話する、当たり前です、こうして人類は命をつむいできたことでしょう。でも、でも、そっとしておいてほしい思春期の一人になりたい想いを抱える学生のように、もう、近い何気ない会話に精神力を削られる人種もまたいることは事実、そう筆者のようにINFPたる人にとっては(※すみません、INFPを代表するつもりはございません。INFPの方でも器用に遠近問わず社会生活を送れる方はたくさんいるでしょう)。

でも大事です。人間が嫌いなのではなく、絶妙な距離感を保てる人間関係が欲しいと願うのです。ほしい、ほしい、友人。でもがっつり近い関係ではなく、もっと深い人生の深淵を逆に浅く語り合えるような関係の人が。でも日本ではそれがなかなか実現されそうにないのです、だって人生もそこそこ経験を重ねた30歳を超える頃にさしかかってもなかなかに自分の居場所が確立されないから、です。

だからこそ思います。INFPはこの日本が合わなくて、むしろ海外、つまり外国の方が性に合っているのではないかと。

INFP 日本が合わない 海外が合う

INFPは語学に強い、とも言われます。

外国語学習に強い、というのはつまり海外での生活に対する基礎力があるとも言えます。海外は日本と違って自己主張が激しく、INFPのような遠慮がちな人種には合わない、というような見識もあるかもしれません。しかし、どうでしょう。外国語を使用しながら喋ることで、また日本人とは違う人間を相手にする分、変に空気を読みながら遠慮する必要もないため、かえって自分の思いを、日本で忖度しながらあれこれするよりもずっと楽だと思うのです。

また日本にいると同じ日本人同士であるがために、今この瞬間の苦しく気まずい心境を見透かされた感じが相手に悟られているようで気まずいのですが、海外の、特にあの欧米人の、目の前の事実だけをとらえ、それ以上は問うまいとするまっすぐな視線だと、いくらでも言葉でなんとかできると思い、それが日本以上に水が合うのではないかとおもうゆえんです。

海外で言葉が通じないからこそ、逆に言葉だけで、それ以上のニュアンスを考えることもなく伝えられる、そう思うと淡々と日々をおくれるのかもしれない、そういう期待が、INFPは日本が合わない、海外のように自己の思いを言葉に出して伝えるということでやりくりできそう、もっというと海外では言葉を記号のように発せられそうなところから(日本人間で空気を読みあうようなことをしなくていいように思えてしまう)、あっているのではないかと思うのでした。

 

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