ISFP、INFP、人生詰んだ[体験談]

ISFP・INFP 人生詰んだ

MBTI診断をすると、ISFPと診断されたりINFPと結果が出たりする方がいらっしゃいますが、この二つのタイプは似ていると言われていますので、それは決して珍しくないかと思います。しかし共通しているのはその繊細さゆえに生きづらさを抱えている、というのは共通点かと思います。
そんなINFPとISFPを併せ持つ読者様よりコメントをいただきましたのでご紹介いたします。

[長野県:T・E様]

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管理人さんお世話になります。
私はISFPとINFPのハイブリッドタイプです。その日によって結果が変わりますが、だいたいこの二択の結果になります。そんな私の
これまでの人生体験談を語りたいと思います。少しでも同胞の皆さんのためになればと思いまして。。

ISFP・INFPの私は社交が苦手、人見知りで内気、無口、コミュ障

ISFP・INFP 人生詰んだ

生きるのに苦労

どちらかというと私はINFP寄りなのですが(ISFPでもありますが)、とにかく生きるのに苦労します。

社会人になり、だんだんと年齢を重ねるにつれそれを実感するようになってきました。

もともと、学生の頃から喋ることが得意ではなくて、休み時間が何よりの恐怖、トイレや人目につかないような場所でひっそりと昼休みを過ごしたこともあるくらいに人が嫌いでコミュ障な生活を送っていました。

人が嫌いというよりも、社交が苦手で内気で人見知り、気を遣いすぎて遠慮がち、空気を読みすぎて輪に溶け込めないというような感じだったでしょうか。
今でもそうです。

INFPでISFPの私はプログラマーを目指し専門学校へ

でも働かなくてはいけない。
喋らなくてよくて対人関係もあまり深く求められなさそうな仕事を選ぼう。
勉強だけはじっくり取り組めるし専門的なことを活かした仕事につこう。
勤勉さにおいては自信がありました。 黙ってコツコツと勉強したり本を読んだりすることは私にとってはたいした苦痛ではなかったのです。

そこでプログラマーを志望し、専門学校に入学しました。

ところが!

そこで私は、カレッジライフであの、学生のイキイキとした輪に溶け込めず、いや、厳密には溶け込んでいたのですが、自分を偽って明るく振る舞い周囲に合わせる生活に疲れ果て、半年でドロップアウトしてしまうことになるのです。

調理師になる(ISFPに適性のある仕事とされる職業)

もうサラリーマンとかは向いてないのだろう、学校みたいに組織で仕事するわけだから。
そう判断した私は調理師を志すようになります。これは職人気質の世界です。ISFP型の素質も持つ私には自然の選択だったのでしょう。

しかし、
やはり周囲からのパワハラやコミュニケーション不足により、またも私はついていけなくなり、ここもすぐに辞めてしまうことになるのです。

以後も転々と。。。

その後も、接客業、営業マン、建設業の作業員、機械メンテナンスなど色々と職を転々としていきました。

が、どこに行っても人に疲れ、社交においてストレスを抱えるこのISFP型、INFP型という性格タイプ。

もはや自信もなくし、自分には働くということが向いていないんだ、、
と、もうこの世を去ろうと考えていた時期もありました。

一念発起、資格試験の勉強を始める

もう自分には何の特技も才能もない、死のう、、と言ってもまだ私には祖父母も父母もいました。

ここで死んで親族を悲しませるのにはあまりにも業が深い。

一念発起して私は簿記の資格をとり、そのままさらに上の税理士になろうと若いのに遊びはそっちのけで(とはいっても元々友達の数も少なく自分から誘わないので我慢していたという感じではありませんでしたが)、勉学に励みました。

が、結局働きながらの勉学は、気が小さくメンタルの消耗が激しい私には荷が重く全うすることができませんでした。

いよいよ、人生が詰んだ

そう考えて、何もかもに絶望しただ漫然と日々を、将来への明確な不安をかかげながら、おどおどと生きていたのです。とうとう引き込もるようになり、貯金を崩していく日々、、そんな中、世の中の技術はどんどん進歩していき、インターネットという技術が誕生して世に出回るようになりました。

ISFP、INFPの強みである文章スキルを活かしてパソコン仕事

パソコンを購入して在宅ワークを志す

資格試験の勉強もやめた分、手元には「暇」という空虚な時間がたくさんできました。
これといった趣味もない私にはこの暇は持て余す存在でしかありませんでした。そんな中、何か始めないと本当に死ぬことになる、そう思い、一度目指したプログラマーの関係もあり、私はパソコンを購入することになります。

毎日ダラダラとネットを見るのは