人生でその時々の経験が積めていないから周囲の話についていけない

人間が信じられない

こ、こんにちは、ギョッ!! コミュ障管理人です。

リア充爆発しろ、とは別に思っていませんが、やはり彼(女)らの存在があるからこそ、われわれコミュ障は劣った存在なのだと気づかされることは事実ですよね。

実際、自分はその昔、明るい性格の人間だったのに、、と思うことはあるものです。

でもなぜ次第にそうではないコミュ障だと思うようになったかというと、周囲がよりリア充な生活をしているからで、

それをコンプレックスに感じるようになり、いつしかその積み重ねが大きな対人能力の差を生むようになるものだからです。

そう、経験の差が開き、出遅れたようなコンプレックスを覚えるからなのであります。

0歳児時点ではコミュニケーション力に差はない

当り前ですが、どんなに優秀な遺伝子を持っていようが、生まれたてに近づけば近づくほどその差はありません。 仏教創始者の釈迦は生まれた時から「天上天下唯我独尊」と唱えたなどといいますが、そういうことは現在の0歳で聞いたことがありません。 はい、当たり前のように、その差はないのです。

3歳くらいで若干その能力差が出るか?

三つ子の魂100までも、と言われるように、3歳児時点でだいたい優れた子はその頭角を表します。 努力努力といいながらもやはり先天的に持って生まれた何かというのは存在するんだろうなと気づかされます。 やはり喋りが達者な子は周囲よりも達者です。

まずは9歳の壁

9歳、これは一つの節目だそうです。発達段階において、やはり能力的に普通以下の場合はここで大きな差が周囲とつくそうです。学習段階においてこの9歳という年齢で、ふるいにかけられます。

その後もあるんだな

経験なし


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そう9歳の壁を超えた、でも安心はできないのです。 人間界の階層レベルはマジで細かいのです。 9歳の壁を乗り越えてどうやら普通以上とされる人間であってもそこからまた新しい試練が始まります。

人生には積上げていかねばならないその年齢に応じた経験というものが存在しますが、それに乗り遅れるとコミュ障になっていきます。

高校へ行く、大学へ行く、社会人になる、そういった強制的に社会から求められるシステムによる経験を社会通念に照らし合わせてこなしていくだけではダメなのです。

具体的にいうと、

例えば性的な初体験を済ませるとか、合コンに参加するとか、ゴルフをやるとか、結婚式に呼ばれるとか、ライブやコンサートに行くとか、海外旅行に行くとか、そういうプライベートな社会的経験を積まねばならない年齢ラインというのがポイントポイントであるのです。

この記事のタイトルの通り、人生でその時々の経験を積むということです。

なぜ人生でその時々の経験が積めていなければならないのか

簡単です。より普通である証だからです。 いや、いいのです。 あえてズラすという手法もあります。 新婚旅行でハワイとかに行くのではなく、エジプトに行くとかそういうズラし方は個性的でキラリと光るネタになると思うのです。

「どこも行ってない」とか「近所の公園で」とかだったら何かつまらなさすぎますよね。ああコイツ死んでるわ、面白味ゼロだわ、話通じねーわと、そうなるのです。

となると、結果として周囲から距離を置かれます。

やがてボッチに。

かくして、周囲の話にもついていけない上に、相手にもされないので孤立して、コミュニケーションの場をより失い、さらにコミュ障になっていくというオチです。

でも、大丈夫ですよ。ワタシはそんなあなたを軽蔑しません、むしろワタシは少数派である同族を求めているのですから。。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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