遊び下手は会話下手、遊び上手は会話上手

麻雀 ブログ

ああ、もうヤヴァイ、日々この先をどう生きればよいのか路頭に迷う管理人です。 毎日、何らかの不安に耐えています。

さて、あなたは会話上手でしょうか。そんなわけありませんね。

そうでなければこんな暗いブログは見ていないであろうからです。

 

で、最近ふと思い始めたことがありまして、それが表題の通り、

コミュニケーション力とか以前に、要は遊び上手かどうかってことが、結局その人の人間力を決めて、最終的に対人力の結晶である『コミュニケーション能力』があるかないかに関わってくるのではないかってこととです。

なんというのでしょう、やはり、色んなところに出かけて、色んな人と利害関係なく戯れて、社交そのもの、つまりは、遊ぶ、という行為を楽しめるタイプの人は、結果的にコミュニケーションが上手です。

これはコミュニケーションが上手いから遊び上手なわけではないと思います。

やはり持って生まれた気質として、なんか楽しいことはないか?退屈なのはイヤだとか常々思っていて、なんとかこの瞬間を面白いものにしたいという楽天さこそが大事なのだと思います。


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ワタシの場合は、ストイックな生活をして育っており、貯金は好きだったし、ゲームは極力やらないようにしたし、マンガよりも頭脳強化のために無理矢理難しい本なんかを読んできたタチですが、結局、つまらない人間になり、やはりコミュ障なわけです。 もちろん、業務連絡は長けています。そういう、必要なことを伝えるということはできるのです。でも、ちょっとした待ち合わせの時間に居合わせた人との時間つぶしの為のトークとか、飲み会での会話のネタなどになると、途端に異国人と居合わせているような気になり、やはり絡みづらい人になってしまうのです。

とにかく、遊ぶことに罪悪感を覚え、真面目一辺倒できて、ときおりハメを外す時も精一杯演技しているような状況でしたから、ワタシは、ちょっとふざけた会話を何気なくすることができないのです。

これは人間力に関わります。

やはり人間としての面白味がなく白々しいがために、周囲から敬遠されるのです。

「いい人なんだけど、絡みづらい、、」

というような印象を与えるのです。

 

水清ければ魚棲まず(あまりに清い人はかえって人から疎まれ孤立する)という諺通りの状態になるということです。

もちろん、本当に性格が清いのか清くないのかは関係ありません。普段出している自分が他人から見えて「清廉すぎる」これだけで十分に距離を置かれるのですから。

ワタシはそうです。

本当は清らかでもなんでもないのに、表向きが堅すぎて誰も近寄ってこず、またせっかく来てくれても、やはり油の刺されていない機械に久しぶりに電源を入れる様なもの、ぎこちなくかみ合わず、使えないと思われるのです。

 

 

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