顔がデカくて引きこもりがちで、他人の視線が気になる

顔が大きいという相談者様より寄稿頂きましたのでご紹介します。

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管理人さんこんにちは。寄稿させていただきます。私は顔が大きいコンプレックスを抱えるブログを運営していますBigFaceと申します。

顔デカに加え最近は中年太りも相まって、まじで体型が奇形しまくりです。
ちょうど、妖怪の子泣き爺でもっと腹をぽっこりさせた感じになっております。
顔がデカくて小泣き爺でございます。

さて、今日は同志の顔デカさんからお便りをいただけましたのでご紹介します。

 

HN:顔でかですさん

こんにちは。
いつも楽しく拝見しています。

私は20代の男ですが、最近人目が気になって休日は家に引きこもりがちになっています。

というか、外に出れば1人の時も友達といる時も心のどこかで他人の視線が気になってしまいます。
以前は、それでも何とか気にしないようにしてましたが気を張るのが疲れました。

彼女もいないので、外に出て新たな出会いを求めたいですがなかなか勇気がでません。
管理人さんはこういう時どうしますか?
また、パートナーとはどこで出会いましたか?

なるほどですね、これは難問題ですね。

私も、顔デカでエラ張り・胴長・短足・チビのために、容姿コンプレックスは持っていて、ふっと全身が映るような鏡とか、お店のガラスに反射して映った自分の姿を見て、

「よくこんなキモイ奴に周囲の人たちは関わってくれてるな。。」

顔が大きい悩み

と、いつも思っています。キモイのにすみません、という自意識があるがために自信が持てず、やはり交友関係も年々減っている、という自覚があります。

ちなみに会社でも出世しません。仕事は出来るほう(マジメというか気が小さいのでコツコツと怒られないようにこなす)なのですが、なんというかやはり根底に自信がないので頼りないのでしょう、10年以上同じ職場にいて平社員のままです。

でも働かないと当然ですが死にますからね、ぐっと耐えて日々腐らず頑張っているつもりです。

休日の日は、引きこもりがちとのことですが、これは本当よく分かります。

これは出ていく癖を保たないとどうしようもないと思います。

私も実は出不精で、一日中家にこもることなどよくありました。出て行っても本屋とかレンタルビデオ屋にフラッといって時間潰してまた帰る、みたいな。 独身時代はそうでしたね。

今は家族に引っ張られて無理やり外に出されますが、でも根は引きこもりです、あまり楽しい所にいきたいという欲求がありません。

見た目コンプレックスがあるとだんだんと友達とも疎遠になっていきますからどうしても孤独な生活になりがちです。

そして、この他人の視線が気になる現象は、本人の持ち味というか遺伝子なのでその後も続きます。克服するというより上手くその性癖と付き合っていくというのが賢明だと思います。

質問者さんは、人の考えていることが深く読めるタチでしょう?

空気が読めすぎるというかそういう能力があると思います。つまり感受性が人一倍高くてそれが生きていく上で障害になっているのです。

この性向というのは実は科学的にも割と突き止められていて、ただ顔がデカいからゆえの過去のトラウマが今の自信のない自分の性格を形づくっているというわけではないのです。

感受性が高くて敏感すぎる遺伝子を持つ人は実に10〜15%いるそうです。

これだと思います。

私自身もそうなのです。徐々に明るく振る舞うのに疲れて来たのが30代に入ったころでしたね。

で、そんなスペックの低いワタシですが、結婚していて子供もいます(しっかり、顔のデカい遺伝子を引き渡してしまって心苦しいのですが)。

これは不思議でしょう。

今のパートナーは、実は昔からの知り合いの女の子です。学生時代、まだ私が明るく振る舞うことを頑張っていた時代になんとか、やっとできたたった一人の女友達です。 そこからなんか次第に付き合うとかいう話になって、でも私も自分に自信がないがために相当ウジウジしてろくにデートとかもできなかったことを覚えています。 ちょっと深い関係になれたときに「顔でかいよねッ!」とか言われたときのショックさは今でもありありと思い出せます。

でも!

世の中、いろんな趣向を持っている人がいて、こんな容姿端麗でない私でもいい、という人はいてくれるものなのでしょう。

極端な話でいうと、世の中には四肢がない人を愛好する性癖を持つ人も存在すると言われるように(※四肢欠損者を差別する意味ではなくて、飽くまで大勢と比較した時に見た目に象徴的な特徴があるという意味で、顔デカに重ね合わせて表現しているだけです。)、人間の趣向なんて千差万別、顔デカでもOKな人なんていくらでもいるのです。

逆にいえば、この多様な価値観があるからこそ世の中は回るのです。生物学的に平均以上を求める趣向・性向を持たない生物界であるならば、それは平均以下を切り捨てていくことになり、将来的にその種は自滅を招きます。 多様性を認めていくからこそ発展・進化していくのです。

ん?何の話や?

ダラダラ書き連ねてしまいましたが、もし、今の課題が

「彼女がほしい」

というものであれば、それは、外に出て女性に声かけをしましょう。とても勇気が必要ですが、演技するつもりでやればできます。

合コンはダメです、周囲の外向的なキャラの人に圧倒されて自信がなくなります。

一人で、下心を持たず、運命の人を探すつもりで女性に声掛けをしていく、もちろんですが、顔や容姿で選ばずに、なんか話せそうだな、という雰囲気で選ぶのです。

ただ、当然ですがカンタンにいきません。100人くらいにはアクションしないといけないと思います。冷たくあしらわれても「どうせ一生会わないんだから」と割り切るのが吉です。

もっとも、とても勇気がいる行為なので、もし可能ならば始めは誰か乗ってくれる知人と一緒にやった方がいいです。成功率が圧倒的に高くなります。 普通に考えて一人で声を掛けるなんて怪しいですからね。 もっともワタシは友達がいなかったので、20代のころは自分を鍛える意味でも一人でそういうことをやっていた時代があります(ただたまに二人で声かけると圧倒的に成功率が高かったという記憶はあります)。

参考にならないと思いますが、参考までに。

ただ、いずれにしても大丈夫です、顔がデカいことだけで悩めるのは幸せだと思います。人間は自身において一番大きい悩みについて思い悩むものですから、つまりは他にそれほど大きな悩みがない裏返しでもあるのです。膝が痛かったら頭を殴れみたいなもんです。

ちなみに私は仕事で大きな悩みを抱えているので、顔がデカいことはもう大きな悩みの種ではありません。もっとも、この仕事の悩みが解決したらまた大きなデカ顔について思い悩むのでしょうけども。

追伸

幸せと苦労は表裏一体です。

私は当ブログで、顔デカといいつつやることやってんじゃねーかとか批判を浴びることがありますが、かなりの苦労をしています。今までの人生でラッキーなんて思ったことなんてないです、つくづく人生はブラスマイナスゼロだと思っています。 顔デカなのに結婚もしている、でもその結婚生活も相当な苦労の上になりたっています。

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寄稿ありがとうございました。

人それぞれいろんな悩みがあります。見た目や精神的なこと。

この世とは苦しいものですから、そういうものだと割り切って元気に生きていきたいものですね。

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