LGBTの生きづらさ

人間が信じられない

こんにちは、コミュ障やっていますか?

さてと、コミュ障コミュ障と言えども色んな意味合いがありますが、ネットでいうところのコミュ障は人見知り、そしてそれを少しこじらせたようなところを意味するものだと思います。

他にも、空気が読めなくて仲間に加われず浮いてしまうタイプの、言わば”よく喋れる”のにコミュ障だという人もいます。

でも、とにかくいえること、それは、生きづらいということなのです。

生きづらいとはどういうことか、それは私なりの定義ですが、

毎日何かに耐えながら、我慢しながら生きているというような観念に捕らわれて過ごしている人のことです。

で、まさに私がそうで、毎日、我慢の連続といいますか、一つ一つの毎日の対人関係のイベントにバイタリティを削られているような消耗感がすごいのです。

先の出来事でも、ずーっと前からそれを案じて気になって心が休まらない、例えば嫌な飲み会が一か月後にあるということが決まったらその瞬間からほぼ毎日、心がどんよりとして晴れないような気分になるのです。 数日前から憂鬱というレベルではないのです。もうその事実を知ってからずっと、です。

こういう、日々何かに耐えているような人生、これこそが、私の定義する「生きづらさ」です。


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で、この感覚は当然ながら、コミュ障ではない普通の社交性を持った人には分かりません。まず理解されないことです。

で、この他人に理解されない生きづらさは、思うにLGBTの方に通じるのではないかと私は考えています。LGBTというのは性的少数者のことで、同性が好きになったり自分の性認識が逆になったりする人たちのことです。

こういった人たちも今すごく「生きづらさ」を訴え、というのもそれを受け入れる社会の体制が整っていないというようなところで、取り上げられています。

生きづらい、身につまされます。

で、こういうタイプと同様に生きづらさを抱える性向、それがコミュ障なのです。

ワタシですが、LGBTではありませんが、とにかく毎日、人に振り回され、疲弊しています。いや、振り回されているんじゃなくて、勝手に自爆しているような感じなのです。

とにかく生きづらく感じる、そういう意味で、このコミュ障もまたLGBTの生きづらさに通じるものがあるのではないかと考えています。

逆にいうと、LGBTの方には、LGBTじゃなくても普通に生きるのに苦労している人間がいるんだと知ってもらうことによって勇気を出してもらえればと思います。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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