目標や夢は持たなくていい、どうせ叶わないから。

新聞

こ、こんにちは、コミュ障やっていますか? ワタシは今日も息苦しいこの空間を生きていましたよ。 しかも、最近、お疲れ様です、の、「お」の出も悪いのです。 職場を出る時、「お」を発するのにものすごい頭の中でシミュレーションして、だいたいこのくらいのタイミングかな、と思ったところの1秒遅れてやっと出てくる感じ、あとは「疲れ様で〜す」といいながら逃げるように扉に向かい出ていくという。

さて、そんなワタシですが、かつて若かりし頃には目標とか夢とかそういったものを持っていました。だから日々、つらくても絶望することなく、将来はコレで生きて行けるから、と頑張れたんですよね。

心理学者になりたい、システムエンジニアになりたい、調理師になりたい、資格をとって独立したい、それがダメならバス運転手になりたい、とかいろいろなパターンを網の目のようにプランニングしていました。

そう、挫折して絶望しないための予防線を張っていた、たくさんの進路をあらかじめ用意しておくことで備えていたのです。

そうすることで、いつ現在時点での道がダメになろうとも、準備が出来ていて絶望することはないと思っていたのです。

で、

今現在、35歳を迎えました。 結果どうか。

何も実現しませんでした。

あれほど気が狂いそうになりながら綿密に立てたワタシの人生プランは何一つ思いとおりに運ぶことはなかったのです。 それはお前の根性や努力が足らないだけだ、そう聞こえてきそうですが、ワタシは実は何かに継続して取り組むことだけは自信があるのです。 例えばこのブログなんていうのも、1記事原稿用紙3枚くらいの文章をもう300記事くらい書いています。 サラリーマンで仕事を終えてくたくたになりながらこれをやったのですから、その点においてはきっと平均よりは十分努力はできているほうだと思うのです。


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でも、あらゆる目標や夢はワタシは叶えることができませんでした。

ん?今からでも遅くない?

いや、遅いんです。もうそんな年齢ではないのです。

つまり、やるだけやってあらゆる目標や夢が成就することはなかった、ということです。

でもそのプロセスに意義がある。 はい、そうかもしれませんね。でも、それはその実現のために努力した時間や労力をコストとして見なければの話です。 当然ながら人間の時間は有限、

この目標や夢にまい進する最中は、当然ながら他のことを犠牲にしている期間というのがあります。 ワタシでいうと、周囲の話題についていけなくてもいいから、とにかくあらゆる誘惑を断ち切って勉強していた時期がありました。 すると必然的に周囲から浮き、さらにコミュ障に磨きがかかるとうオチです。

これで結果が伴えばいいのですが前述のとおり叶っていないものですから、どうしたものか。

残ったものが何なのか、もう分からないくらいで、自分は何も持っていなかったと気づくハメになるのです。

かなり、目標や夢を持って励んだ、でもその一つ一つが叶うことはなかった。 目標や夢というものは、まずやれば叶うという保証があってこそ頑張る意味があるのだと思います。 そうでなければ、成就しなかったときの喪失感や絶望感、それに伴う徒労感などがすごいです。いま、ワタシはそれに必死で耐えているところです。

そして、次の目標、

はい、もう立てません。

夢も目標もありません。 どうせ叶いません。

だから、自分が楽しいと思う事だけを追求しようと、それを究めることを人生の目標にしようと思います。 でも、それもかなわないかもしれません、今、いや昔からそうですが、これが楽しいと心底思った経験が、ワタシにはないのです。

でも生きるぜ。 この世はワタシの罪滅ぼしの世界なんでしょうから。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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コメント

  1. ぶるうす より:

    「コミュ障」で検索したらこちらのブログにたどりつきました。以来、お気に入りに登録しています。
    リア充の今日食ってきたもんをいちいち載せてるブログよりずっと面白いし、内容も深いですよね。
    明後日、人と集まる機会がありますが、何かあっても帰ってからここのブログ見たら大丈夫だ、という気持ちになります。

    • コミュ障研究家 より:

      ぶるうすさん

      コメントありがとうございます。 本文中でリアクションさせていただきました。⇒http://komyushou.com/comment