コミュ障でも人生を全うできる!無口な爺さんが生き抜いた話

ko,こんにちは。コミュ障研究家の安倍です。 先日初めて身内の訃報がありまして大変でした。

ワタシのおじいちゃんなのですが、87歳にしてこの世を去りました。 長寿の家系なので、ワタシも35歳にして初めて親族の葬式を経験したという。

いやいや、それにしてもこの葬式というのがコミュ障にとってはアワワ、、なポイントなんですよね。

そう、親族が集まるんです。

人見知りはだいたい家族にも口をろくに聞かなければオジサンやオバサンやイトコなどの親族にもコミュ障ぶりを発揮するものですから大変なのです。 もうどこに視線をやっていいやらでソワソワするんですね。

あと、コミュ障というか無口であったり遠慮がちで内向的な性格というのは遺伝しやすいのか、結構親族もまたコミュ障チックな人が多いということはアナタも経験したことがあると思います。 ワタシの家系は男がほぼ無口です。 だからなおさらのことこういう場でも喋らないという。

でもまぁ、親戚なんで飾る必要もないということでプレッシャーはそれほどないのでマシなのですがね。

はい、そんなこんなですが、それはおいておき今回は本題である、「コミュ障でも人生をきちんと全うできるか」ということです。

結論から言ってその答えは「YES」です。

そら

無口で照れ屋な祖父の葬式にはたくさんの人が集まった

ワタシの祖父ですが、もう典型的な昔ながらの男像、もくもくと仕事をするというタイプの人間でした。死ぬ直前まで漁師として海に出ては寡黙に働くという頑張り屋の爺ちゃんでした。

ワタシが物心ついたときから「爺ちゃん、喋らないな」という印象で、一緒にいても会話が超少ないんですよね。 もうずっとじいぃぃっとしているといいますか。

少し口を開いたかと思えば「食べるか?飲むか?」の必要最小限の言葉しか発しないそんな感じでした。

と、ここで感動話みたいなふうにもっていってもそんなの聞いてねぇ!となると思いますので、核心に迫りますが、


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このワタシの無口で照れ屋な爺ちゃんが亡くなって葬式が開かれるとなりました。

現代のニュアンスでとらえると十分コミュ障な爺ちゃん、

これは葬式に人が集まるのだろうかとワタシは心配していたわけです。

しかし!その心配はよそに、通夜にも葬式にも葬祭場がほぼ満席状態になる結果となりました。

そう、コミュ障な爺ちゃん、でも人望は厚かったのです。

最小限でいいから当たり前の付き合いをしておくだけで大丈夫

ワタシが親から聞く限り、爺ちゃんは確かに無口で人付き合いもあまりなかったとのことでした。というよりもう人間90歳を目前にすると誰しも周囲との付き合いってなくなるということもあるでしょう。

けれどそんな薄い社会との関わり合いの中でも爺ちゃんはポイントは外さず、人の葬式には出向く、コミュニティの行事には最小限でも顔を出すといったことは長い人生のなかやり続けていたそうです。

そう、もう最小限でいい、義理でいいからやるということです。

こうするだけで十分に周囲から葬式に来てもらえるだけの人望を集めることができるのです。

そして、このコミュ障な爺ちゃんですが、しっかりと子孫が繁栄してひ孫が15人くらいいるんですよね。そして、葬式では親族にたくさんの涙を流させてその威厳を死にながらにしても放っていました。

無口なのは生きているときからそうだったのですが、当然死んでも無口、でもその存在感を放ち、87歳の長い人生を全うしたというわけです。

ひたすら働き身内のために尽くし、最小限ではありながらもポイントを押さえて人付き合いもした、そして大往生です。

祖母ちゃんが出棺の際の最期のお別れのときに「爺ちゃんに出会えてよかった、また会おうね」と言いながら花を添えていたのが印象的でした。

つまり、爺ちゃんはそのコミュ障をものともせずありのままで生き切ったということで、まさにコミュ障でもこの世に生まれたことには意味があるのだと思い知らされました。

ですから、コミュ障は最悪治せなくても十分人生は全うできる、そういうことです。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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