自分のことを何と呼んだらいいか分からない、ためらう

分からない

こ、こ、ゴクリ、こんにちは、コミュ障研究家の安倍です。 えっと、僕は、いや、拙者は、ノーノ―、ミ―は、違う違う、俺は、んー、そうそう、ワタシ、ですね。

今回は自分のことを何と呼んでいいかためらってしまう現象についての記事です。

ハッキリいいましょう、それにためらっている時点でコミュ障でしょう。

でも近頃ではそういう、自分の一人称を何と表現していいやら悩む人って増えているみたいですね。

そもそもですね、自分っていうのはこの世の中心なわけです。この世自体はアナタ自身が作った世界であり、アナタの死とともに消え去る存在です。 スピリチュアルな感じになりますが、死後のアナタはまた別世界へと行くことになるのですが、その時、この世はどうなるか、全部なくなります。 死ぬと同時に一度リセットされるのです。 その証明として、今アナタが前にいた世界の記憶はないでしょう? ということであります。

と、そんな話はさておきまして、つまりはこの世の中心はどんな影の薄いアナタであろうともアナタ自身が主人公であることに違いないのです、そしてそんな主人公が自分のことを呼べないなんて!!という話です。

でも確かに自分のことを呼べないというのは分かります。 いや、厳密には照れ臭いんですよね、自分をこう呼んだ、というのが。

ワタシは男なので、男の立場としてでしか理解できませんが、例えば、

…なんか弱い印象。時として女々しくも感じるような響きがありナメられる気がして使えない。少なくとも上級生に対して自分を呼ぶときに使う言葉。

…エラそうな印象を与えそうで怖い。俺という表現がすでに王様的ポジションのような気がして恐縮する。対後輩、または仲の良い同級生向け、という印象。

…かしこまって水臭い。相手との距離感を生む一人称であるがために、まず学生時代には使えない。社会人としてオッサンになるにつれて段々と使うようになる言葉。


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自分…汎用性が高い。普段使いにはやりにくいが、これが一番迷わずに使える一人称であり、フラット。ただ、フォーマルな場では馴染まない。

という感じでしょうか。

いずれにしても、自分のことを呼ぶというは、相手ありきです。 相手がいるからこそ自分のことを呼ぶ必要があるのです。

ここでどう表現したらいいか分からない、という現象は、相手との距離感を掴めていないことに他ならないでしょう。 よく言うと慎重な人であり奥ゆかしい人であるのです。

もっと突っ込んで言うと、相手があり自分がある中でとっさにその言葉を選べないというのは社会性の欠如であり、つまりはコミュ障なのです。

いや、よく分かりますよ、確かに迷う、僕、俺、私、自分、 もっというとこれに悩む人は結婚したときに相手の親族を呼ぶのに困る場合が多いでしょう。 義父をオジサンと呼びたいけど余所余所しいからオトウサンと呼ばなくては!でも気恥ずかしいぞ、、、とか、あとは配偶者の姉とか弟とか、なんて呼べばいいか分からないという具合に陥ることでしょう。

コミュ障なのです。

分からない

これはですね、ひとえに社会経験不足です。 きっと頭はいい。 でも人間関係を築くには相手に踏み込んでいき、どこまでいけば相手が怒るのか、何をやってあげれば喜ぶのか、とかを試行錯誤していかねばならないのです。

これを「失礼があってはいけない」と一線を引いているから仲良くなれないのであり、そういった弱い土台であるからこそ相手にオドオドしてしまい自分のことすらどう呼んでいいか分からなくなるのでしょう。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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