人間が信じられない

人間が信じられない

ここここここ、こんにちは。コミュってますか? 人間を信じていますか?今、酔っぱらっておりますので文章も支離滅裂なことと思いますがお許しください。

さてところで人とコミュニケーションをとるその大前提とは何ぞやですが、分かりますでしょうか。

それは、信頼感であります。

コイツなんか胡散臭い、とか悪いヤツのような気がするとか、いろいろと感じることってありますよね。 人間というのは直観的にそれまでの経験を基にして相手をどうこうと判断するものです。

それはよくも悪くも、「自分の価値観を信頼しているから」こそなのです。 このタイプはこういう考え方をしていそうだ、とか、アイツはイイやつだ、とかいろいろとあると思います。

まず第一に何だかんだで自分のことは自分が信頼しており、だからこそ、自分とは対話できるのです。 あれこれと考えつつ迷いながらも人間は「自分の思うように」判断して行動します。

自分は正しい、と思っているからこそ、自分を信じコミュニケーションする人を選ぶのであります。 だから「アイツとは話しにくい」とか感じるのは自分の感情に他ならないのかもしれません。自らバリアを作るのです。

でも、その感度は人間誰しも持っているもので、決して友達が少ないからと言って悲観する必要はないのかと思います。

やはり、人間というのは本当に何を考えているのか分かりません。人間が信じられなくなるような出来事というのは年齢を重ねれば重ねるほど分かるようになると思います。

よく、TVニュースで事件が起きた際の取材で「まさかあの人があんなことをやるなんて、、」という証言があったりしますが、はっきりいって、そんなことは決して少なくないことだと思います。

やはりいるんです、そういう、人間に対する価値観や信頼感を曲げられるような本性が明るみに出て、悪事が露呈するような人というのは確実に世の中に存在しており、まさかあの人がと幻滅するようなことが、十分に起こりうるのです。

まさかあんなマジメな人がこんな悪事を、、まさかあんなに元気だった人がそんなことに、、十分にギャップのあるようなことが実際に起きてくるのです。


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人間が信じられない

そして、感度の高いコミュ障は、だんだんとそういうことが目に見えてきてまたさらに人間に対する信頼感を失い、信じられなくなり、コミュニケーション不全となるのです。

決してコミュ障である自身が悪いのではなくて、不信感から閉ざしてしまう、話しかけるなオーラを発するようになるということです。

こればかりは、なんとも対処法が見つけられません。

たぶん、そういう心境になるアナタは頭がよすぎるのではないでしょうか。だから見えてはいけない、または気にしてはいけないことが過敏にキャッチアップされるがために、過剰に反応せざるを得なくなるのです。

これをガードし、図太く生きるためには、もう最初から「人間とはそんな騙し合い」と思って、人生はそのサバイバルゲームなんだと思って生きるしかないような気がします。

みんな信じるに足らない存在であり、所詮は利害関係で支え合っている、そう割り切るほうがいっそ精神的にくつろげるのではないでしょうか。

変に「この人は信頼できる」と、核心のない勘、それも自らの乏しい経験でしか裏付けることのできない、当てにならないギャンブルのような判断力でしか相手を見ることができないのです。

それならいっそ信じずに、最後まで割り切って付き合う、そうするほうがむしろ健全に生きられるコツなのかもしれません。

ブッダもまた言っています。愛別離苦と。 これは愛するものや親しいものを無くしたときの苦痛をいうものです。 そして、この悲しみを克服するためには、そもそも、愛する人に会ってはいけない、という指摘すらあるのです。

つまり、誰とも一線をおき、それ相応の付き合いに留める、これこそこそが人生を生き抜くスタンスであり、またこれはコミュ障的な生き方、つまり、コミュ障な人生はある意味、とても理に適っていることでもあると、思えませんか。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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