コミュ障とはコミュニケーション障害の略であり、その言葉から推察するに一種の精神障害にも思えますが、実際に世の中で運用されている意味としては、人と雑談するのが苦手、ざっくばらんに人と距離感を維持するのが苦手というのが通説でしょう。
そんなコミュ障研究家の読者さんより「コミュ障になる理由」について寄稿いただきましたのでご紹介いたします。
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こんにちは。コミュ障研究家のAです。
私の経験談ですが、コミュ障は営業の仕事を10年やっても治りませんね、コミュ力が上がってもコミュニケーションを楽しむ力は鍛えられません。だから話せば話すほど上手くなることはあっても、それに対して疲弊することには変わりないのです、コミュニケーション障害と表現されるだけのことはあります。
コミュ障の根本的な心理的要因
さてそんなコミュ障ですが、なぜコミュ障になるのか考えたことがあるでしょうか。
コミュ障というのは、大きく二つに分かれて一つは脳機能障害(うつ病、自閉症、失語症、社会不安、統合失調症など)の本格的な病気であるパターンと、もう一つは人見知り以上〜対人恐怖症未満というタイプに分かれます。
日本人には圧倒的に後者が多いことでしょう。
なんといってもグローバルに見れば総コミュ障な民族ですから。
それにしてもなぜコミュ障になるのか、それは端的にいうと、
人からよく思われたい
ということに尽きるでしょう。
まず日本人というのは周知の通り、和を以て貴しとなす民族集団であり、空気を読むことをすごく大事にする風潮があります。個性よりも空気感なのです。これは突き詰めていくと、
人によく思われたいという気持ちかと思います。
人に施せ、とか、人に迷惑を掛けないように、というものとは違います。
(人見知りタイプの内気な)コミュ障になるタイプというのは、人からよく思われることでそれによる利益を得たいという駆け引きみたいなものが心の根本にあるかと思います。
そんなことない、って思うかもしれませんが今一度自分の胸に問うてみるとそうだと気づくのではないかと思います。
周囲に合わせるだけでは、逆に人間関係は上手くいかない
集団に迎合するように生きているだけで周囲から尊重されるようなことはありません。コミュニティにおいてチヤホヤされるためには、むしろ周囲をビビらせ怖がらせるだけの影響力が必要です。
コミュ障が信じている人間関係をうまくやるための観念としては、どこか周囲に媚びることで好意を獲得しようとするような向きがあるでしょう。
そしてそのために自分を殺して演技して人と付き合う、それによって疲れて社会とのかかわり合いが面倒になって嫌になる、こうしたことがあるでしょう。
よく、幼少期に甘やかされると大人になってコミュ障になるとか言われますが、これは幼少期に大人から八方美人至上主義な教育を受け、その中で自ずと大人に甘やかされるためにイイ子を演じる癖がつき、それが大人になって上述の通り気を遣いすぎて人と仲良くなれないなんていう症状が形成されてしまったのかもしれません。
本来、人と人とが付き合っていくということは遠慮したり気を遣ったりする必要はないのです。
むしろ自分の意見を遠慮なく相手にぶつけることがある意味で相手を対等な人間として扱っている証拠であり、また相手も遠慮してこない人に対して気を遣う必要がないから逆に気を許す、そんなものなのです。
もし、コミュ障でどうしようもない、いろんなコミュニケーションの勉強をして努力してきたけどちっともコミュ障治らない、という方はまず他人に気に入られようとしていないか今一度自分自身に問いかけてみることです。
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コメントありがとうございました。
確かに人に遠慮しすぎていては一向に距離は縮まりませんよね。人間関係は鏡、自分がそこから離れれば、相手も同じように離れる、しかも鏡合わせですからその距離は2倍です。
近づきすぎても危険ですが、適度な距離感を保つ、そのためには思っていることを口にする、という関係が必要ですね。それで離れていく関係ならばそもそも性格が合わないだけ、そう割り切りながら生きていきたいものです。
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