死後、天国に行くと仮定しよう。で、それはどんな環境なんだい?その逆算から見える幸不幸

天国 メンタルを強くする考え方

こ、こんにちは。コミュ障研究家の安倍です。

ワタシにとって今年は占い的に最悪(稀代の占い師細木数子氏でいう大殺界)らしいですが、元々コミュ障で苦労続きなので、「ああ今年も同じく苦労ばかりだな」程度です。 そうこのコミュ障という十字架は死ぬまでなり。 でも耐えて人生成功させて見せるぜクソッタレが! …言葉が汚いですね、失礼しました。 まぁ時折こうやって自分に気合を入れていないとマジで気が滅入るのです。

 

はいはい、そんなこんなで、コミュ障患って死ぬまで懸命に生きていくとして、やっぱり気になるのはその後ですね。

 

いや厳密には人類誰しも死後の安寧や幸福を求めて、生きるこの現世で徳を積むべく良心を大事に生きているわけです。

バッサリいうと、宗教家・無宗教関係なく通常はやはり道徳という観念に縛られて生きているのが人間というものです。

人は天国に行くために善行を積む

天国そして、その道徳という観念はバッサリとザックリと一言でいうと結局は自分のためなんですね。

情けは人の為ならずといいますが(←この諺はよく誤用として、情けをかけることは人の為にならないからやるべきではないと解釈されますが、実際は、情けをかけることが最終的に巡りめぐって自分に帰っていいことがあるという意味です)

そう、結局人間っていうのは利己的な生き物で、やっぱり自分がいい思いをしたいから善行を積むのです。

もちろん短絡的で目先の利益を追いたいがために他人を踏み台にして悪行を犯すという人もいますが、ある意味、善行を積む人も「将来の自分の利益」のためにやっているのだとすると根本は同じということになりますね。

 

で!

なんか遠回りしましたが、善行を積むこの行為は、最終的にはいわゆる天国にいくためだと思うのです。

人間は最後に死ぬことは避けることのできない事実で、その死後の世界は誰も知らない。だから天国とか地獄とかそういう概念からの逆算によるモラルが必要でありそこに宗教的な道徳の観念が求められるわけですが、この死後の世界の有無は検証のしようがない以上、世に広まっている一般論(いいことをしたら天国、悪いことやっていると地獄)を信じるしかないんですね。


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そういうわけで、乱暴にいうと人が生きる目的というのは天国(理想郷)に行くことであると言えると思います。

 

死後の世界はああだこうだと反論はあると思いますが、やはり幸福な世界にいくためのステップとして現世を品行方正に生きその見返りとして天国にいける、こういう下心は誰しもあると思います。 もちろんこれを下心と表現するのは不適切でしょうけども最終的には利己的な願望であるのではないでしょうか。

 自分にとっての天国を定義することでコミュ障を超越した幸福論が見える

と、かなーり回りくどくなりましたが、ここからが本題です。

 

では、あなたが天国(理想郷)に行けるととして、それはどんな世界ですか?ということです。

 

コミュ障のあなたである場合、

現世を全うして死後の世界のユートピア天国に行ったとしましょう。

それは例えば日中、家にこもってインスタントラーメンを健康を気にせず貪りながらパソコンやゲームばかりして過ごし、誰とも関わらずひたすらそういったことに熱中している日々が続く世界が天国でしょうか?

例えば、リア充が一人もいない世界でみんなが言葉を必要最低限だけ交わすような日々が続く世界でしょうか?

 

仮にリア充である場合は、

毎日がイベントやパーティ三昧な日々でしょうか?

 

いろいろと理想郷はあると思います。

 

これには答えの出しようがありません。幸福の基準は人それぞれで違うからですね。

 

ただ問題なのは、アナタにとってその天国と定義する状態を具体的にイメージできるかどうかなのです。

人間は慣れる生き物です。 だから安易に「あれやりたい、これやりたくない」というワガママを実現できたとしてそれでも続く永遠の時間に対してどうそのヒマを潰すことができるのか、を問いたいのです。

例えば、仕事をしなくてよい世界なんていうのは誰でも憧れますが、永遠に仕事する必要がないほどの連続的な資産が与えられそして不老不死の生命が与えられたとする。 で、その後はどうやって生きていきますか?

 

これはとても難しい問題です。

 

しかし、このテーマに対する答えを見つけられたらアナタはコミュ障であろうがなかろうが目指す世界は自ずと見えてくるはずなのです。

 

コミュ障、リア充、ニュートラルな人、そんなものは関係なくこの世の中には自分の幸福の基準を分かっていない人は非常に多い。だからこそ人は迷い、もがくのです。

逆に、コミュ障という重大なハンデを抱えていても自分は永遠にコレさえできていれば幸せという何かがある人、これはある意味で究極のリア充であり幸せな人です。

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