いつも貧乏くじ引くし、何をやっても上手く行かない理由が分った

こ、こんにちは。このブログも弱音を吐き続けてきて3年ほど、だいぶ核心に迫ってきました。ワタシも若い頃は強がって色々とコミュ障を治そうと奮闘、躍起になっていた時代がありましたがいろいろ取り組んで10年くらいして分かったことは、本性は偽れないということです。やはり化けの皮は一時はその効果を発揮しますが、次第に剥がれ落ちるものです。気が付けば、自分ではコーティングできているつもりが破れ果て、その穴からジロジロとのぞかれているような苦渋の時間が訪れることになるのです。

とはいえ人間はまた生きていかなくてはなりません。

いつも、貧乏くじばかり引き、何をやっても上手くいかない、いやうまく行っていることもあるのだけれどもそれが評価されず便利屋に終わってしまうというこの悲しいサガはもはや、いい人、なのです。

で、この状況から抜け出そうと四苦八苦もがき、あらゆる努力をする、でもそれも報われず阿鼻叫喚の中に今日も身を投じる、、

そう思い、毎日を七転八倒で生きているこの正体、、

これはずばり、高望みにあると思うのです。

もう、理想を追うのはやめよう。


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この苦しみはきっと、使命であり、この辛く長い道を渡り歩いていくことそのものが、修行であり、人生なのではないと思うようになったのです。 夢を持っても夢破れ、目標を立て達成しても何も現状打破できず、いやむしろ悩みはどんどんと増え、日々を重ねるごとに心や体が重くなっていくこの苦しみは、たぶん、もう、人生というものの正体なのではないでしょうか。

ということは、

何をやっても苦しみばかり、だから快楽を求めよう、というのが論理の展開としてふさわしいようですが、でも、実は快楽を求めるのもまたダメなようです。

快楽を求めると今度はその反動が表れるので、はたまたダメージを後になって自らに与えるのです。 だから休日に思いっきりリフレッシュ、なんてやって楽しい思いをすると、その反動が出てくるのです。 ですから本来は、幸も不幸もない感覚、いわば無感情というのが一番心にはいいようですね、そういうのを本だかネットだかで見たことがあります。

でもそれはそれで難しい。もともと楽しいことが好きではない私ですから、なんというのでしょう、娯楽を楽しめないタチなのです。 そういったことから、そもそもニュートラルな状態を絶えず持っているにもかかわらず、苦しく生きづらいのです。

そう思うと、何もかにもが色あせて見えてしまいますね。

でもそれがなんだというのだ。

もともと無であったこの命にそもそも色めいた何かを求めるのが高望みというものではないかということです。

いずれにしても全ては過ぎていきます。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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