服屋(ショップの店員)に緊張して苦手

マスク

こんにちは、コミュ章やていますか? 昨日、テレビでTHE MANZAIという芸人の漫才のテレビが放映されていましたが、いやいやすごいですよね、ああなりたいです、日常的にああいう風になりたいです。 ただ、あういう芸人さんもまた普段は、根はコミュ障だったりして、ネタだからできるということもあります。 やはり普段の、肩を抜いた状態でああいう風に喋れる、こうなれるときっと世の中は幸せに渡ることができるのではないでしょうか。

ただ、並々ならぬ頭の回転とセンスが必要なので、いずれにしても高いハードルです。

でも諦めるな! コミュ障にはコミュ障にしか見えていない独特の世界があるんだぜっ!と。

すみません、今日はちょっと酔っているのです。

はい、さて、タイトルと全く関係のない出だしとなってしまいましたが気を取り直しまして、さて、コミュ障、この現象の一つに、オシャレに興味がないということが挙げられます。いや、厳密にはオシャレもできるものならしたいけど、そういう気取る行為が恥ずかしい、だから無難な恰好でいいや、という状態で、結局それが周囲に差を付けられダサいやつになってさらにイケてなくて、なんか周囲に見劣りして自信をさらに無くし喋れなくなるというコミュ障スパイラルに陥るという現象です。

金がない、それもある。

でもそれだけじゃない、あの、およそオシャレな服を飾って、中ではリア充の店員が舌なめずりをしながらこちらを肉食獣のように狙ってくる様はとてもコミュ障にはじっとしているだけでもウェっとなる空間なのです。


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その居心地の悪さといえば、始業式に一人だけ体操服くらいの恥ずかしさなのではないでしょうか。これ以上はないだろうと。

それなのに、リア充な店員たちは、間を図らいつつ、まるでサバンナの草むらの陰に潜んだ捕食者たる獣が、びくびくと周囲を警戒しつつ、つつましやかに生活している小動物のその健気でおよそ残忍な行為を働くことのないであろう清らかな魂、しかし生きるために最小限の食べ物を得るために一瞬一瞬に命を懸けている、その間にくつろごうとするほんの束の間の隙を、ここぞとばかりに生き物から食べ物へと変換する残酷な習癖を、あたかも神の法則の下、何も悪くないかのように接客するその姿はまさにこの世の摂理。

かくして、コミュ障は小動物なり。

背伸びして服屋、ショップに入ったコミュ障は小動物さながら、まず自分の一挙手一投足がきになり、まず服選びに集中できず、またいかに店員からの視線を避けるかに意識を割くために、何のために入店したのやら分からないような気持ちになるのです。

接客されたら最後、断れないか、その会話のプレッシャーで重くなり居たたまれなくて即座に退店のどちらかなのです。

リア充店員の、あの、鬼が地獄の釜の前でサディスティックな笑みを浮かべる形相を、コミュ障は写し取るのです。ああ、自分は生贄(いけにえ)、今まさに喰われようとされている、ああ、服屋、ここはトラップ。

ああ、ああ、ああ。

とコミュ障はもがくのです。

何たる地獄。そっとしておいてくれ、と。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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