楽しい感情がない

空気が読めすぎる

こ、こんにちは。コミュ障やってますか?管理人です。

男35歳にして、だいぶこの世の楽しみの限界が見えてきました。苦しみの限界はどこまで続くのか分からないものですが、楽しさの限界は見えてしまうものです。ああ、物心がついてきてぼんやりと楽しかった経験がうっすらとあって以来大人になった今もはやそのぼんやりとした記憶を超える楽しい出来事があっただろうか、いや、といっても、これまでそれほど楽しかった経験とはあるのだろうか、それとも楽しい感情が自分にはないのかということです。

いつも無理して人付き合いしているコミュ障にとっては、他人との関わりは苦痛でしかなく、他人にとっては思い出となり得るも、コミュ障にとっては苦行をしているようなもので、その苦行の先に何か見返りが欲しいというようなくらいに何か徒労感を感じ、いつもぐったりしているものだと思います。

というより、そもそも人間というものは、一人で楽しいと感じるものではなく、やはりその嬉しさをシェアできる仲間がいてこそだと思うのです。 一人でやっていて楽しいと感じる趣味を持っている人はいないわけでもないでしょうけども、例えば、全人類が絶滅したけど自分一人が生き残った、でも世の中は人口知能の働きにより、いろいろなものをタダで享受できるようなシステムができあがっている状態、としましょう。


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こうなると、多分、シェアできる仲間がいないので、何かを一人でやっていても楽しくないと思うのです。 ゲームやマンガなどは一人趣味の最たるものかと思いますが、それでも、えんえんとそれだけをやるというのは楽しくないでしょう。やっぱりそれらを通じて誰かと共有できる環境があってこそ、本当に楽しいと感じるのではないでしょうか。

あと、楽しさを肉体的なものに見出だすタイプは将来が心配です。酒に溺れる、アダルトなビデオにハマってまうタイプです。楽しさの本質は心から来るのが自然な流れですが、これが体の快楽から来る楽しさは、ハマってしまうと際限なく求めてしまうようになり、いつも渇望している不足状態になるため、こわいのです。

なんか回りくどくなった上に、論理的に整理できていないのでアレですが、何はともあれ、世の中の一つ一つのイベントに身構えるような、そんな感覚がするのです。

いや、決して、まったく楽しいという感情がないわけではないのですが、どこか頑張っている自分がいて、ヘトヘトになるのです。

やはり、それは人が介在するからなのでしょう。

シンプルに、流れに身を任せて目の前に起こる現象を本能的に楽しく感じられればいいのですが、これができないのです。

自分で判断して選んだその一つ一つにことにすら、やらされ感があるのです。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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