テレビ(ビデオ)会議が苦手

忙しい

ここここおこおこおおこおk、くぁっ、こんにちは、コミュ障研究家の安倍です。

さてと、えーっと、あああ、あのその、そうそう、 とこんな感じで最近は、リラックスしていてもどもってしまい、とうとう俺は壊れてしまったと思う次第です。もう、なんというか、どもるというか、繰り返すのです。 それはそれはね、ぼくもぼくも、などとDJがビートを刻むように、喋ってしまうのです。 リラックスしている状態でこれならばもうどうしようもないですね。 いや、でもかえってリラックスしている時のほうがドモっているような気がします。これはきっと、本性がそれで、演技をしている表向きの自分はそうではないのです。ワタシは二人目の人格をトレーニングによって作ろうとして、そういうことが可能になってきたのかもしれません。わかりませんが。

閑話休題。

ここで質問ですが、あなたはテレビ(ビデオ)会議をやったことがあるでしょうか。

将来的にこういう遠隔地同士を結び会議を行うスタイルは当り前の世の中になるとは思いますが、2016年現在ではまだそういった文化はどこもかしこも根付いているわけではなく、やったことのない方も多いかもしれません。

2016年現在のテクノロジーではまだまだこのシステムに違和感があります。

テレビ(ビデオ)会議のシステムは、モニターと平たいマイクがあり、まだ相手に声が届くまで若干の遅延があるように感じます。あと、どれだけの声量で届いているかが明確でない状態です。 つまりは、自分の発信がどれだけのトーン・タイミングで相手に届いているか分からない状態なのです。

これは、将来的には改善されて、まるでその場にいるかのような臨場感で遠隔地同士が結ばれるテレビ(ビデオ)会議システムが出来上がる、というかモニターを通してではなくて、3D映像がその場に映し出されるようなリアリティになるようなテクノロジーができると思いますが、まだまだそれは将来の様子ですね。


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もっとも、これだけのテクノロジーが進むころには、むしろ人間は必要なくて、人工知能だけで全てが完結する世界で、生命の倫理からいって、そこに人間のような生身が必要のない世界になってしまっているような気もしますが。

発明のようなテクノロジーの発展というのは、人類をいかに楽にするのかというのが本質ですから、最終的に人類は究極の楽を求めて、じっとして動かなくても充実した生活を送れるということになるのではないでしょうか。

と、脱線しました。

で、2016年のこの世ではまだまだ、この遠隔地同士を結んで会議をやるというのは先進的なテクノロジーなのです。2100年代の人から見るとアホらしいと思いますが、まだまだ、この技術は、WEBカメラでぎこちない映像のもと、自分の声がどれだけの感じで相手に届いているか分からない状況です。

で!

このTV会議が苦手なのです。

さんざんいった通り、相手に自分の声がどれだけ届いてるのか、全く分からないのと、相手の表情が見えないこと(WEBカメラで遠くから撮影された動画が投影されていて反応がよみづらい)、これが分からないので、話下手なコミュ障にとっては、

あの、人前で電話する時の、コンプレックスである自分の話し方を皆に聞かれているようで心がゾッと暗く、窮屈な感じになり消耗するのです。

これは社会人として組織に勤めていると誰にでも起こりうることです。

対策はありませんが、心しておきましょう。

ちなみに、TVのアナウンサーは、よく、海外中継をしていますが、声の受信の遅延がある中で、自然な形で中継を回しているのは、さすがは話のプロだと思うのです。

落ち着き払って、声の遅延を計算しつつ、また突然の無音トラブルにも機転を利かせて対応する姿は、コミュ障族のわれわれからすると、100年かかっても追いつけない技能だと思います。



アナタは私と似てる?>>管理人はこんな人






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