当ブログは性格関係の解説も取り入れておりますが、関連で読者さんより寄稿いただきましたのでご紹介します。
▽▽
人の名前を呼べない
私が今まで生きてきた中で生きづらいと感じたことは多々ありますがその中でも、代表的なことのひとつに人を名前で呼べないというのがあります。このことについては、理解できる方と理解できない方とにはっきり分かれる事柄かもしれません。 名前で呼ぶことができる人にとっては何でもない行為なのに、私のようにそれができない人にとっては多大なハンデとストレスがのしかかります。これは意外と生きるのがきつい原因になりえます。
人の名前を呼ぶのが苦手というのは少数派だと思うので解説します。すごく偏った主観ですが私は男性なので男目線で表現させていただきます。
事例1: 人に対する敬称を変える、姓から下の名前に呼び方を変える
初めて会った人との人間関係の初期段階において、その人の名前を呼び始めるステップがあると思います。その時最初から呼び捨てにするパターンはあまりないと思います(学生時代における先輩後輩の関係が明らかな場合は例外として)。
なので最初は、「君」とか「ちゃん」とか「さん」とか敬称をつけて呼ぶと思います。
この初期段階で呼び始めた敬称を親睦度合の深さに比例して呼び方を変えるというのは多少エネルギーがいるかと思います。
その時のノリでフレンドリーに相手に対する呼び名を変えて、相手の反応を見る。また自分の気分次第で遠慮がちな呼び名に戻したりと、ヒット&アウェイを繰り返しながら、「あ、多分、この名前の呼び方でいけるな、もうそんな間柄になってきたよな」と判断して名前の呼び方が固定化されます。 ただ、段階的に、相手に対する呼び方を変えていくステップはそれなりに勇気がいることであり、その前提として、その人と仲良くなりたいという想いがないと実現できないと思います。
こういうのは、わりと誰でも通る道なのかな、と思います。(すみません、前提が私のような内向的で気が弱い方が多数いるという上でジャッジしており、外向的な方にとってはまったく理解の及ばない解説になっているかと思います)
ちなみに私の場合、この、相手の名前の呼び名を変化させていく過程でどこかこじらて、 相手の名前をどう呼んでいいか分からなくなることが多々ありました。結局そうなってしまうと長い目で見て疎遠になります。
事例2: 自分の親のことを呼べない
もちろん、こどもの頃は親のことを呼べていました、赤ん坊のころからそうしつけられていましたから当然です。しかし、思春期を迎え大人になる頃には、「おとうさん・おかあさん」と呼ぶのが恥ずかしくなってきて、私はどう呼んでいいか分からなくなった記憶があります。今(38歳)でも濁すように「おとう。ん。おかぁ。ん。」みたいな感じで発音します。
事例3:義理の親のことを「おとうさん・おかあさん」と呼ぶのが難しい、照れすぎる
私は自分の親のことでさえろくに呼べないので当然かもしれませんが、私の妻の親、つまり義父・義母をおとうさん、おかあさんと呼べません。 昔のドラマでよく、結婚の許しをもらいに嫁さんの実家に挨拶に行った際に、「おとうさん、娘さんを私にください」「お前におとうさんと呼ばれる筋合いはない!帰りなさい!」なんてシーンがベタに描写されていましたが、逆にいうと私には嫁の親をおとうさん・おかあさんなどと呼ぶ資格はないと恐縮しております。時間が経ち、もういい加減水臭いだろ!と思われても仕方のない年数(結婚して10年)が過ぎても未だに、あの、、えっと、、というようにしか呼ぶことができません。名前を呼ぼうとするも、喉でつまって出てこない感じになります。
事例4:何なら自分のことすら呼べなくなる
相手のことはおろか、自分のことすら何と呼んでいいか、戸惑う対人関係もあります。目上の人に対しては、僕とか私とかでなんなく通せるのですが、ちょい目下くらいになると、俺と呼ぶのもエラそうだし、僕と呼ぶのはなんかバカっぽい、あどけない、なら、、「自分」と呼べばいいのか、「こっち」と呼べばいいのか、こんなことですら戸惑う自分が、不便だなと感じます。
人の名前を呼ぶのが苦手になった経緯
これまでの人生を振り返ってみると、こういう人の名前を呼べない現象は思春期を迎えるころに発動しました。 それまではそれほど人をどう呼ぶかということに関してはそんなに苦労してきた記憶がありません。
ある程度周囲の人間関係が固定化してきて、周囲は、A君のことを「A、A」と呼び捨てにし始めて、A君の「呼び捨てされるキャラ」としてのポジションが確立しつつあるときに、自分がその波に乗れず、、でも周囲と合わせてそう呼びたい、、という葛藤の合間の中、結局どう呼んでいいか分からない、呼び捨てだと失礼だしかといって従来通りの君づけの呼び方もなんか照れくさいし、誰もそういうふうに呼んでいないし、と、自分の中で納まりが悪く、結局名前を呼べない状態が一番ナチュラルになってしまう、というのがあります。
特に、私の場合は特殊?なのか相手との距離の縮め方が苦手なようで、かえってそれほど親しくない、距離間のある相手の名前は呼べるのです。 君とか、さん、とかつけていれば済む話だからです。
しかし、そうした距離間のある相手とも関係を重ね、本来ならある程度仲良くならなければならない頃、その距離感の縮め方の調整が苦手なようで、ここで名前をどう呼ぶかで苦労するようになります。 あんなに仲の良かった親族や、彼女(妻)、いつも一緒にいた友人などと、距離をうまく縮めきれないのかなんなのかよく分かりませんが、シャイさが発動するのでしょうか、、結局名前が呼べないのです。
呼べたとしても清水の舞台から飛び降りるような気持ちでやっとの思いで、しかも名前で呼んだあとも自意識過剰に相手の反応をイチイチ伺うような始末なのです。
さらにこじらせると、その人のことを直接呼ばない場面、例えばその人Aがいない中、数人で喋っていてその人Aの名前を呼ぶ必要に迫られたとき、スムーズに名前を発することができず苦労するなんてこともあります。
これってたくさんある人生の悩みのうち、どうってことはないことのように思えますが、QOL(生活においての質)を大きく損ない、見過ごせないハンデとなります。
人の名前が呼べない苦労
名前が呼べないからその人と喋れない、関われないというわけではありません。むしろ普段関わり合いがある状態なのに名前を呼べないから悩むわけです。つまりは何気ない瞬間に、相手を呼び止める一声に「名前」を使えない制約(=名前を呼べない)があると、どう声掛けすればよいのかと余計な労力を使うことになるのです。 おい、ねえ、、と一段落置くのか、いきなり本題をぶつけるのか、、これは多大なハンデです。
「今だ。。この瞬間に、相手の名前を呼べるようになろう、そのための第一歩に今、相手をこう呼べたらいいという名称で呼ぼう、、、あっ、タイミング逃した、、あっ今なら大丈夫、」
「(名前を呼ぼうとして)。。。〇×、(うにゃうにゃっ)」
振り絞った声を発する、、 、、、届いていない、、相手に聞こえきれていない、、ああ、せっかく思い切ったのに届かなかった、、とうなだれて途方にくれます。
しかし、これは、なんとしてでも努力して乗り越えなければならない試練です。 相手は、呼ばれてうれしいからです。逆にいうと名前を呼んでくれない人に対して親近感など抱きにくいですよね。
人は名前で呼ばれると喜ぶもの
実際に心理学的にも名前を呼ばれることで心地よくなる、相手に親近感を抱くという事例があるそうです。 学術的にどうこう以前に考えてみればその通りですけど。。誰とも仲良くなれる外向的な方を見ているとよく分かりますが、本当に外向的な人たちは頻繁に相手の名前を呼びます。話しかけるときは必ずそうですし、会話の途中でもよく名前を使います。 名前を呼ぶから社交的になれるのか、社交的だから名前を呼べるのかはなんともいえませんが、どちらもまた正解だと思います。
一方で、私のように人見知りな方ほど相手の名前を呼びにくいわけで、だからどうやってよべるようになれたらいいのかなんていうこともありますが、、
それは、私の経験則では、相手の名前を呼ぶのを先延ばしにしないで、「今だ、今なら相手の名前を呼べる」と思ったその時に頑張って呼ぶことがいいかと思います。先に延ばすほど、呼びにくくなっていきます。呼びにくくなることが定着すると相手にもなんかぶっきらぼうな印象を与えるようになります。
もっとも、それはそれで悪くはなく、私の祖父なんかは祖母の名前を呼べない人でしたが、終生祖母に慕われていました。ですから、決してそういう名前を呼べないことが人生において決定的な損失を意味するわけではないと思います。
相手に嫌われてもいい、 自分は相手との距離を縮めたいからこそ、名前で呼ぶんだ、呼び方を変えるんだ、と意識して、でも意識しないで接することがいいと思います。
いずれにしても年を重ねると否が応でも(内向的な人にとっては若い頃より)図々しくなっていくものですから、こういう名前を呼べない悩みは薄れていくものです、そういうふうにゆったりと構えて、、 いずれ呼べるようになると信じて生きていきたいですね。
△△
コメント
いつしか照れくさくなってきて呼べなくなりますね。最初のうちはポジショニングがとれるので、●●くん、●●ちゃん、●●さんといえるのでしょうけど、その当初の人間関係からいうと進展したり後退したりの関係の中で、ポジショニングが分からなくなり、戸惑ってきて、名前を呼ぶときに、あれ?どう読んだら自然なんだ?とオロオロしてしまいますよね。
342日前
呼ばれる側としても割と「お?
?こいつ急にあだ名使ってきた!」と思ったりするので、余計に自意識過剰になっちゃう、、相手にもそう思われるんだとかあれこれ考えて結局面倒くさくて、名前を呼ぶのを省略しちゃって、、でも人間関係において、相手の名前を言えないのは非常に大きなハンデ。。