
枯れて散ってしまうのに美しいとはなんとも逆説的な言い回しです。
世阿弥の風姿花伝からの言葉ですが、花は散ってしまうがゆえに美しい、という格言です。
散るのに美しいとはなんとも風流というか風変りというかあれですが、
つまりは、時間があるものは美しく感じるということでしょう。四季折々の季節がおりなす自然は移ろいゆくものの代表ですが、やはり次に移ろっていく、そのためにひとつの節目が終わって、、
という、終わりがあるからこそ次がある、
終わるからこそ、今この「時」が名残惜しい、そしてその名残惜しさこそが、美。美しいものや思い出には誰もが、その時が永遠に続けばいいのにと思うものです。
でも、それが続かないことが分かっているからこそ、その瞬間を目一杯に楽しもうとするのだと思います。
終わりがあるからこそ、今のこの心地よい瞬間を自分の中に取り込んで刻もうとする、だからこそ、終わりがあるものは美しく価値があるのだと思います。
青春時代は、中学校や高校という、短い区切りで訪れますが、そうした終わりが見えているからこそ、凝縮された蜜のような時間に、そう感じるのでしょう。
枯れるからこそ、散るからこそ美しい、というのは何とも深遠なる世界です。
本来なら、ずっとこの美しい瞬間が永遠に続けばいいのにと願う人間なのに、一方で飽きるのが怖くてそれを誰かによって仕方なく手放されるような悲運を求めている、
人間とはなんとも矛盾した生き物です。
だからこそ、美しい。