浅学非才の意味

浅学非才の読み方

せんがくひさい、と読みます。この四字熟語は浅学菲才とも書きます。※非に草冠をつけた漢字を用いる。

浅学非才の意味

浅学とは

浅学とは知恵が浅く未熟なことをいいます。

非才とは

非才というのは、才能に乏しいことを指します。修養が足りていてない状態です。学問の積み重ねができていないことです。

浅学非才の用法

浅学非才

自分の知識や経験を謙遜して用いるのが本来の使い方です。

他人に対して用いる言葉では本来ありません。もし他人に対してあの人は浅学菲才だから、というのは、すでにその言葉を使ってしまった人が浅学といえるでしょう。

浅学菲才の例文

  1. 浅学菲才の身でありながら、こうして登壇させていただけること、厚くお礼申し上げます。
  2. 先ほど手厚くご説明に預かりましたが、当方といたしましては浅学菲才なものですから、数点ご質問させてください。

 

口頭で表現する時には「不勉強」がいい

浅学菲才、は書き言葉としては知的でありながら謙虚な態度で、人間としての気品を感じさせる言葉です。一方で、口で言う際にこの言葉を用いるとどこか鼻につく、といいますか、お堅いイメージをもたれそうです。

不勉強なもので、というように表現するのが違和感がなくよいかもしれません。

浅学菲才の対義語

浅学非才とは対照的に、さまざまな方面の学識があり才能も備えていることを下記のように四字熟語で表現します。

  1. 博学多才
  2. 博識多才

ちなみに、博学とはもとは孔子の才識を称賛したものだといわれています。

 

・・・人間とは勉強すればするほどに自分の無知に気が付くものであり、また世の中に出て経験を深く重ねれば重ねるほどに、上には上がいると感じるものです。

そういた積み重ねこそが、自身を謙虚にして、まだまだ自分は浅学菲才の身、未熟者だから、と思う体験となります。思いあがった人間は仕事はできるのかもしれませんが、決して心から尊敬されるようなことはありません。尊敬されることが人生において尊いわけではないかもしれませんが、自身を、浅学菲才だからと思い続けているうちが華なのかもしれません。

 

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