INFP、幸せをおそれる、という意味

INFPである筆者は前々から自分はどこか幸せになることを望みながらも、そうなることで罪悪感を覚えるような矛盾性をもっていると感じていました。この謎の現象にはどういう意味があるのか考察してみました。INFPであると、幸せを恐れることがあるかもしれないというニュースです。

INFPは幸せが怖いのか?

幸せを恐れる INFP

かくいう筆者のINFP性からいいますと、INFPたるがゆえに幸せを恐れる、避けるということはないと思いますが(INFPという性格類型と自虐性の因果関係)、

ストイックな面は少なからずあります。苦しまないといい思いはできないという信念がどこか頭の奥にあります。

もしかするとこれがどこか、逆説的ですが、幸せは求めているものの、苦しまないと手に入れられないので、苦しみを求めている、というような節があるのかもしれません。

INFPが幸せをおそれる理由

幸せが怖い理由

母親が不幸な生い立ちだと、子は幸せを恐れるように、なるかもしれない

あるとき何かの文献で読んだ記憶がありますが、母親が不幸な生い立ちであるとそれが影響して、「自分だけが幸せになってはお母さんが可哀想だと」と本能的に考えるようになり、それが自分を追い込み苦しみを得ることで安心する、つまりはそれが幸せを恐れるという現象がるようです。

そういえば、筆者の母親もまた、苦労にあふれた人生を歩んできたみたいです。

それが分かったのは筆者がとっくに大人になったあとのことでしたが、筆者の母親の生い立ちでは幼くして父親をなくし親戚をたらい回しにされ母親は子を見捨てどこかへといき、残された弟と妹を連れ、姉をなくし、食うものにも困り、道草を食べて糊口をしのいでいたそうです。(※どうやって生き延びてきたのかはその証言からは空白の期間があり謎であり、逆にそれが壮絶さを物語っているともいえます。子たる者にそれは言えずひた隠しにしているのかもしれません。)

そんな母親でしたが、筆者を大事に育ててくれました。何事も筆者を優先にして無理して働いて進学させたり不憫な思いをしないように取り計らってくれました。

でも、そんな母親でも時折見せる辛苦の生傷が、直観的に筆者を刺激するのでした。

ふと「このヒト(母親)は壊れているんじゃないか」と思わされるような場面があったことです。あんなに普段はしゃんとしている母親が少しでも酒が入るとまるで無法者、子どもながらにしてなんという酷い有様、、と軽蔑してしまうような体たらくであったということです。あれはただ酒に弱い体質だからという一言では済まされない様相でした。

それはどこか過去のトラウマから来ている浄化行為のようにも思えました。こんなに苦労してきたのにどうして報われないの?もうどうでもいいよね、というようなそんな自暴自棄的な雰囲気、それが筆者とその兄妹を刺激しました。

話が逸れてしまいましたが、つまりは、そんなに荒れた母親を見て、それまでの辛苦を垣間見るような気がして、どこか自分だけが幸せになるなんて、お母さんに申し訳ないと思うようになる性向が身についたとも言えます。実際、母親もまた口では「お前たちに苦労はかけさせたくない」と言いながらも、少しでも私たちがうまくいっているところを100%喜んでいるようには思えませんでした。そんなにうまくいっているならば少しでもお裾分けしておくれ、つまり、カネをくれ、でした。

人のせいにしてはいけませんが、幸せを恐れる何かが環境要因により少なからず影響を与えているのではないかというのは、一つ主張したいところではあります。

うまくいっている自分が寂しい

INFP うまくいかない

幸せがこわい、幸せを恐れる、という行為にはどこか、

自分を傷つけることで安心しようという心の働きがある、

ということが否定できません。曖昧な表現ですが、この感覚的な感じです。分かる人には分かるとおもいます。表層意識ではいい思いをしたい、幸せになりたい、楽をしたい、そう願っているのに、その状態になると何か悪いことをしているような、またいいことの前借りをしているような心地になる(借金的な)、そんあ心の在り方です。

自分が幸せであってはいけない、今までのように苦しまなくちゃいけない、そういう、変な、義務的な自虐意識が芽生えるのです。幸せをおそれるハッシュタグ的な。

あんなに煩わしいと思っていた病気が治りかけているとき、

あんなに長時間残業で苦しかった仕事がしなくてもよくなったとき、

いつも自分を虐めていた人が遠くへいくようになったとき、

また逆に、

ハプニングが起きて自分がこれから苦労する羽目になるのに、それをどこか高揚してしまうなど、

自分がうまくいく、幸せになろうとするのを阻止しようとする自分がいる、本当は楽をしたいし幸せを楽しみたいのにも関わらず、です。

 

苦しい状態で変な安心感を覚えている自分がどこかにいる

INFP 幸せ

もっとひどいステージにいくと、うまくいっている状態、つまり幸せな状態にあると、幸せを感じられる状態にはあるものの、その裏で感じる罪悪感(自分は幸せになっちゃいけないんだという観念)に耐え切れず、苦しく思うこともあります。

どこかで、失敗してしまって苦しめばいいのにと自分を痛めつけようとする客観的な自分もどこか頭の奥にいます。仮にそれが自分Bとすると、その自分Bも同時に苦しむ羽目になるのに、その自分Bの悪魔のささやきが「さぁ苦しめ」なのです。あれだけ苦しめられて早く治れと願っていた病気がいざ治らんとする時、どこか「もっと病気であったらいいのに」と心の奥で願う自分がいるアレです。

でも本当は何も考えずに幸せになる境地を楽しみたい

そう願っています。平穏無事な毎日。

この心の奥の中にはびこる幸せ恐怖症候群の病魔をやっつけたいです。

例え自分だけがいい思いをして苦しもうとも、それでいいんだ、その幸せを100%自分で楽しみたい、味わいたい、そう願います。

このへんな不幸呪縛から抜け去りたいのです。

願えば叶う、INFPでも幸せになれる

そう、鏡の法則でいわれているように、人は思い描いた通りの人生を歩みます。

だからこそ、うまくいっていない今の状態を振り返るとき、自分がそれを呼び寄せていないか?と考える必要があるでしょう。

うまくいっていない時は自分が望んでいるからだという発想です。

でも、それは受け止めてもいいかもしれません。ある程度までそのうまくいかない状態を受け止めると、どこかのタイミングで、これ以上はむり、と思えるようになれるようです。

筆者の場合はそれが42歳でした。その時に、「もうこんなに苦しい思いをしたくないよ。。」と願いきることで、その後、はうまくいく兆しが見えてきた次第でした。

なので決して、幸せを恐れ怖がることを避ける必要はないと思います。それは自分がそうすることでバランスをとっている証拠ですから。いつかどこかのタイミングで吹っ切れて、まともに幸せを追いかけられ、それを享受して味わうことができるようになるようです。

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