MBTI性格診断テストでINFP(INFP-t)と出た、死ぬしかない、、そう感じるためにはINFP型というものが予め性格診断受診者に、ネガティブなイメージが知られていけないといけません。
一通りテストに答え、最後の結果を見るボタンをポチ、「INFP」と出たときに、
「ああ~、INFPって出ちゃったよ~、はぁ、死ぬしかない。。」
それとも、MBTI診断でINFPと出てそれについて調べていくうちに、どうやらINFPーtという性格は生きづらいということが次第に分かり、ネットで一通り調査したあとに、
「なんて悪いことばかり書いてあるんだ、社会不適合者なのか私は・・・?もう死ぬしかない」
そんな経緯を辿るのでしょうか。
真意はそれぞれですが、いずれにしても、INFPと出て死ぬしかないと検索する人は、当のINFPの人本人であると思います。
筆者もINFPとよく診断されますが、その、死ぬしかないという絶望感は理解できます。もう本当に生きづらい(笑) 詳しくはINFPあるあるを書いたこの記事にも書いた通りで嘔吐を伴うような悶えぶりが分かるかと思います。
この、「INFP死ぬしかない」の表現は意味合いとしては、
死ぬことにするという決意、であるよりも、
もうやってられない これから先どうやって生きていけばいいだろうか
という不安の方が的確だと思います。
※一方でINFPは化ける、という云われもありますのでそれを信じていきてみるのもいいと思います。
社会不適合で死ぬしかないと思う
社会不適合。そう云われてどこか誇らしい自分もいるわけですが、実社会で年齢を重ねるにつれ、おそらく、自分はダメだと打ちひしがれてしまう機会が増えてくるかと思います。若い頃は人と違った感性が、普通ではない芸術性を備えた、どこか将来花を咲かせる才能が自分には眠っているというような静かな自信があったのですが、実社会でネクタイを締めて会社にいく巷では、絵を上手にかけるよりも気の利いた一言を言えるほうがよっぽど重宝される、そう実感するようになります。
また、学生時代であっても、休み時間の過ごし方が苦手、浅く広くの付き合いができないので周囲から浮いてしまう、こういうことが往々にしてあり、地獄の時間を過ごすようになります。普通の人の当たり前が、途轍もなく負担なのです。空想に囚われて目の前の作業(人の話を聞く、話す、体を動かす)が疎かになり、ポンコツとして扱われてしまうこともあり、実際に怒られるなど攻撃される機会もあるためにさらに負担が大きくなります。
またさらに、それをこじらせると、苦痛を紛らすためにお酒などに嵌ってしまい負のスパイラルに陥るという危うさもあります。
繊細過ぎて生きづらく死にたくなる
INFPと診断される方は、HSPとも診断されることはよく言われることです。普段からボーっとしており、実際に行動には移せないので、人から見れば外観上のエネルギーの消耗はなさそうに見えますが、本人にとっては繊細であるがゆえに、色々と気を遣って考え事をしているがために動けないだけで、実際は「0」という出力をするために「10に1を足してそれを2乗して3で割る、そこから1を引いて120で割る、そして1を引く」という工程を経ています。絶えず、脳と心は揺れています。
でも死ぬしかないなんてことはない
この世は地獄と感じることの方が多いのは確かです。しかし、生きていれば決して悪いことばかりではありませんと言いたいです。
筆者の体験談になりますが、ネクタイ締めて会社勤めをするうちに次第に世間に最低限順応する力は養われてきました(相変わらず変人扱いはされますが笑、慕ってくれる人もいます)。人は変われないといいますが、気が付けば変わっている、3年前はあんなに死んでしまいたいと思っていたのに、今はもっと我欲に正直でいいんじゃないかという余裕もあります。
諦めずに、1日1日の区切りでその日をやり過ごす、どんな苦しみもいっさいは過ぎ去る、そう思って進んでいくうちに、いつの間にか時間は経っています。気が付けば寿命、そうなるように生きていければいいですね。
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