INFPが生きづらいエピソード

MBTI診断でINFPと言われる読者さんよりコメントを頂きましたのでご紹介します。総括すると、繊細すぎてあれこれと考えこんで、日々の絶望感から厭世観、そしてもう人生をやめたくなるほどの毎朝の目覚め、、これを聞いていると胸が痛みますが、ご興味ある方はご高覧ください。

[神奈川県:H/Jさん]

INFPに生まれて、そして生きづらい

INFP 生きづらい

管理人さんこんにちは。お世話になります。世の中は春になろうとしているのに、どうしてこうも一人ふさぎこむような毎日を送らなければならないのかと、もう嫌になります。消耗感を感じます。そんな私ではございますが、どうやらこれは特有の「生きづらさ」なんだと、だんだんと歳を重ねるように自覚するようになってきました。というのも、この世自体がみんな平等に辛いものなんだと、勝手に周囲に共感していたつもりですが、たぶん、私以外の周囲はそれほど人生は「つらい」ものではなく、表現として「だるい」ということはあっても、身や心を削るような思いで日々を過ごしているわけではないことが分かるようになりました。

コミュニケーション力という言葉を行くとぞっとする

INFP 生きづらさ

まずは、私のもつスキルの中でもおぞましいほどに自信がないのがこれ、コミュニケーション能力です。日々の生活で、ただ人と会いコミュニケーションを重ねる、これってとても自然なことです。いくら人間関係が云々とかいっても、人は人と話をすることを当たり前としており、普通の人たちは、そもそもコミュニケーション能力って何よ!?と思うようです。つまり当たり前すぎることを能力と呼ぶのかということです。誇張した表現でいうと、遅刻防止力・就寝前歯磨き執行力・定期的食事摂取力、というような領域で、確かに日々徹底的にやり続けるとなると厳しいながらも、とても当然すぎて、ただその能力を駆使する云々ではなくて、やらないのはただの怠惰、というとらえ方です。

いや、私のような会話苦手な人種にあっては、黙っている方がずっと楽なのです。一くくりにINFPの方が会話嫌いとはいいませんが、もう人の時間を退屈に奪っている感が絶えず頭の中によぎりながら人と仕方なく会話している、そんな負荷感があるのです。どうやらこれはINFPたる私の特有の現象みたいです。ほかのみんなは少なからずだるいと思いながらも誰かと話をすることに退屈抹消の効果を見出している、そう見受けられます。

人に声をかけることすらおどおどする

INFP おどおど

声が小さいのがINFP?

自分から声をかけるというのは内向的なこの気質にとってかなりのストレスです。なんか用事があって、例えば自分が何かの役回りを負って一人一人に何かを配るような役であるとか、人の名前を呼んで何かを渡すとかそういう作業、そうした一つ一つがもうドギマギ、アタフタとして卒倒しそうになるのです。

傍から見れば何のことはない、おそらくは何でもないことなのに、こういう、ちょっとした人への働きかけでさえ、清水の舞台から飛び降りる様な思い切りが必要なのです。ビクビクと、ゾッとしながら。

会社で事務員さんに話しかけられない

後ろからソッと声を掛けたつもりが、思ったより声が出なくて、事務員さんは何もなかったかのように淡々としている。

でも周囲のデスクの何人かは、その声を掛けた自分に気が付いていて、チラッとこちらを見て、そして気が付いていない事務員さんを見て、

「(あ、気がついていない・・・)」

となるのですが、

なんか変な気まずい空気が漂うのです。

そして、もう一回声を掛け直そうとするのですが、今度は、喉に声が詰まって声が出ない、、そう一度声かけに失敗したところを周囲に見られたので、コッ恥ずかしくて、そのまま逃げてしまおうかとか思いながらも、かえって逃げるとさっきバレた周囲の人に「用事あったんじゃないのか??」と訝られるのが居たたまれない、もう一回、声を、事務員さんの名前を呼ぶんだ、、声が出ない、

タイムリミット、これ以上ここに突っ立っていたら、背後霊だ、、

ポンポンと肩を叩き呼びかける、

振り返る事務員さん、

「わっ!ビックリしたっ!!」

と驚かれるのですが、それに対して

「ああ、ごめんごめん存在感ないもんで」

とかちょっとしたユーモアも交えることもできず、何事もなかったように用件を伝えるという。

風。

空気。

霊。

、、、よくわからないと思いますが、こうした何気ない普段の所業すら鉄枷をはめられているような不自由さを感じるのです。

親戚間でも遠慮して主張できない

気が付けばいつしか親や祖父母に対しても遠慮してしまうような始末。当然、親戚関係に対してもとてもよそよそしく接して、また気疲れします。

幼少期には意識していなくても思春期を超えてだんだんと距離を感じる。普通の人なら何のことはないこの程度の人間関係の処理に苦心するのは、あれこれと思案しすぎてしまうINFPの特長なのかもしれません。

アウトプット至上主義のこの社会では、大人しい自身の性格は評価されにくい

INFP 評価されない、生きづらい

がんばっていても報われない。

社会に出て仕事を始めて特に思うようになりました。初めのうちは覚えも悪いのですが、だんだんとやっているうちにプレーヤーとしてはだんだんとできるようになるのがこのタイプだと思います。またNOと言わないのでどんどん仕事も押し付けられがちです。

次第に仕事メタボな状態になります。お腹だけがぽっこりでているように、見た目以上に仕事というか雑務(脂肪)を抱えているような状態となります。この雑務は誰もやりたがらない、でも会社として誰かがやらないと立ち行かなくなる、実は大事なことです。家事みたいなものです。家事はやらないとやがて生活が崩壊します。しかしその一つ一つが当たり前すぎて評価されにくい。

その会社の雑務つまり家庭で言う家事的な仕事もやらされるようになる、本来の任されている仕事もやりながら。

でもあまり評価されないのです。見ている人は見てくれている、といいますが、少なくとも上層部はこうしたところを見てくれていません。

なので頑張っているのに(厳密には頑張らされている)のに、評価されないという現象が起きます。

やることはわかっています。もっと周囲に対して「自分はここまでやっているんだ!」とアピールすることです。なのに、それができない。そんな図々しいことをやるなら粛々とやっていたいと思うからです。生きづらいなと思います。

こんなに仕事を抱えていて、周囲に振りたい、でも人に頼むとその人に気の毒な感じがして、結局自分でやってしまう。残念ですね。

社会でもINFPの生きづらさは続く

ネットを見ていれば、やれINFPはコミュ障、つまり人見知りで内気で遠慮がちで内向的で引きこもりがちといったキーワードが出てきます。確かに大変です。生きづらい理由です。

学生時代も休憩時間の過ごし方、また点呼の時に緊張するなど、ささいなことで消耗するようないきづらさがあったと思います。自分ひとりで全部完結する世界に身を置きたいと。

これは社会に出ても大変さは続きます。

言い返すことが少ないINFPは攻撃の標的にされやすいのか、上司からも厳しく指導されます。

やがて自分が先輩の立場になってくると、「きちんと後輩を管理しろ!」と詰められるようにもなってきます。それなら昇進させて昇給させてくれればいいのですが、そういうわけでもなく、ただただ自分の成績はもちろんのこと、後輩の成績まで管理しろ、とはどういうことかと、もう心が限界に達しそうです。

でも愚痴っても仕方ありませんね。やるべきことは「きちんと自己主張する」それだけだと思います。それをしないからどんどんつけあがられるのだと思います。

私自身にはどこか、頑張っていれば誰かが見てくれている、この世の偉大な力に導かれて良い方向へと向かう、というような甘えがあるのかもしれません。

いずれにしても、生きづらきこのINFPたる私よ、そういう叫びです。人様のサイトで好き勝手に愚痴って申し訳ありませんでした。

△△

H/Jさん、コメントありがとうございました。

社会人生活は大変ですよね。ひとことでいうと理不尽、これに尽きると思います。その中でも割を食うのが大人しい性格タイプの人でしょう。なぜか仕事ができても評価がそれに対して全うに報われず、縁の下の力持ち、その縁の下が深すぎるのでしょうね。でも私はINFPでも穏やかに自分に合う職場を見つけて幸せに過ごしているという人を知っています。もしかするとH/Jさんは今までの環境が合わなかっただけともいえると思います。人生諦めないでご自身にあう環境を見つけてください、きっと見つかると思います!

コメント

  1. 下等 より:

    infpに嫌がらせしてから貶してくる人嫌いです

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